2012-01-01から1年間の記事一覧

――――――――(以下9時頃の雑文)―――――――― ・山脈の絵を描くことを想像してみよう。どこから描き始めるか。山の周りから描く人もいよう。中腹から、山頂から、尾根から、空から。それぞれである。大方の素描を自らが抱いていれば、どこからでも構わないだろう。…

発光、換喩

(これに対し)「日本的な光」には、主体と世界を媒介する「光」という発想、あるいは光とまなざしの同一視といった発想が欠けている。障子、行灯、提灯の昔から、丸形蛍光灯に至るまで、「日本的な光」は、しばしば点ではなくて面から発せられてきた。 そこ…

タテイト、ヨコイト

ワンテーマでひとくさり書くとして、通常、完成稿のアイデアだけ発案して最短距離で作り上げるなんてことはできやしない。当たり前のことだと言うだろうか。これをはっきり意識したのは恐らく初めてだ。これから繰り言を重ねていく時のディレクションとして…

ヘリクソ

しだいに、ヘリクソをこさえる技術が身についてきたようで、性懲りもなく自分の言ったことをしばらく手放さずにグニグニと指先で丸めて手垢まで擦り込むくらいに練っているくらいの往生際の悪さはなかなか数年前とは味わいが違うとは思う。が、それと同時に…

「私は私」という玉座

何を書くか。何故考えるのか。気にかかるのは、いつもそこばかりだ。 該博な知識に裏打ちされるような類のものではない。たしかに知識を溜め込むのもやぶさかではない。しかし、いつかは年を経ると忘れ去ってしまう。時々、ボケて全てを忘れ去ってしまうこと…

NINIFUNI(覚書)

世界の底が割れるような感覚は、これまで見てきた映画にもいくつかある。そのなかでもこの映画は、自分にとってごく自然に馴染んだような感覚を抱かせた。“世界はぼくに気付かない。”キャッチフレーズというやつか。この言葉がわたしの見た映像をそのまま十…

「考え」

考え――とここでは名づけるもの――が数限りなくあふれてくる。夢の中、「なぜ私ではなかったのか」という言葉を残して目覚め、何か大事なことを考えていたかのような思いを抱くこともある。本当に大事だったのかなんて、目覚めてしまった今では分からない。た…

母胎回帰

…「母胎回帰ストーリー」は,被告人は母子一体の世界を希求する気持ちが大きかったところ,被害児を抱く被害者の中に母親類似の愛着的心情を投影し,甘えを受け入れて欲しいという感情から抱き付いたのが犯行の発端であり,被害者を殺害後に姦淫したのも自分…

世界理解と、思考すること

行き交う人々。私とは別の形で、存在している人。その数々。『娚の一生』で海江田は言う。 あるとき学校近くの画廊で先生の染色の作品展がありました/…ぼくは哲学をやりはじめのころで/人間のことや世の中のことは頭で考えたらなんでもわかると思うてました/…

震えるほどに

また、体が震える程の嫌悪感。向く先は私自身で、そして私の目に映る人の姿。なぜ、こうも私は潤滑な応対を行うことができないのか。要求を突きつける相手は、私が全て当人の納得のゆく形で対応してくれると思っている。それが務めというものなのだろう。私…

原作厨やタルムードについて

古拙な文章を生き生きとしたものにするために、タルムードの方法があると内田樹は論じる。 そのままでは冷え固まった古臭いもの。それこそ、原理主義者の好むところなのかもしれない。金科玉条のようにオリジナルを尊ぶその態度、実は様々な場所で見られる現…

発達障害的素因とは

考えていたことがあるんですよね。最近言われてかなりのインパクトというかショックな一言が「発達障害的素因がある」なんですけど、じゃあ自分が今まで見て来た世界、捉えてきた方法って他の人とは違うものだったのかっていう、なんていうか世界が自分を取…

雑記

ちようど一年前に書き散らしたもの。メール送信済みに入れて忘れていた。2011/2/11 試着、到着、死着 スーパーパイズリ 困ったことに、当の問題や問題群の解決は一向に解決される気配を見せない。これは、当事者や関係者が解決の糸口を見出していないことが…

想起

印象に残ったものは、ことさら言葉にせずとも覚えている、と思っている。しかし、それは甘い。出来事は繰り返し思いだされ、そのたびに折々の「私」によって形を変えて捉えられる。思い出される、想起することとは、切り取られる部分によって異なり、思い出…

臨機応変さ

何事にも臨機応変さが求められる、という。その場に応じて細やかな対応をすること、自分はこれがかなり苦手だ。 これこれこういう決まりがある。しかし四角四面に相手に押し付けるのではなく、状況の変化に応じて適宜調整をしていく…しかし相手は人だ。決ま…

本屋に寄り道

一乗寺の恵文堂へ1年ぶりに足を運ぶ。アガンベンの『言葉と死』をタイトル買いして以来か(読んでないし)。 ここでの感じを書き記しておこう。 某教授と元教え子の連れがこの一年以内に行ったことを2度聞いた。最近では教授は西炯子の『娚の一生』が面白か…

小さな幸福のようなもの

何か小さな幸福のようなものを書きたい、と彼は言った。 自分は周りの人に影響されやすいところがある。人との共通理念を作るにはどうすればいいのか?人と人が分かりあうということに価値はないのか?と。 共通理念。人と人が分かりあえるとは、たとえば二…

原田さん

『赤目四十八瀧心中未遂』(車谷長吉)の抜書き。 私はアマへ来てからはじめて、阪急電車に乗って京都へ行った。六月半ばの雨の降る日だった。れいの小山花ノ木町の知人の家を訪ねるためだった。この原田巳記という人は、私が京都で料理屋の下働きをしていた…

外へ!

外へ、外へ、自分の知らないことをより多く取り入れていくことがまず大切であると思っていた。経験豊富のほうがいい、と誰が私に教えてくれたのだったか。確かにボキャブラリーも笑ってしまうほどの自分が何を表現できるかと考えて、まずその蓄えの少なさを…