2020-01-01から1年間の記事一覧

映画の感想文とは、わたしにとって何だったのか

20年弱前だった。映画を見たいと思い、映画について何か書きたいと思った。それが意味することを考えることができなかった。ただ、偏執的に映画を映画館で見続けた数年間があり、それを証そうとするかのようにブログに感想を書き始めた。ありていにいれば、…

言葉にならない感情

この人は、私が言葉にならない嫌な感情を喉の奥に潜ませていることを知っていて、しかしもうひとりの家族のよりよい生活のために、それに気づいていることなどおくびにも出さず明るい声で私とコミュニケーションを取っているに違いない。私はどれだけこの人…

老いとぜつぼう

私はしだいに老いてゆき、そして後悔と絶望を濃くしていくことだろう。何もできなかったこと、何もしなかったこと、何もしてやらなかったこと。これらは全て私の責のもとにあり、どれ一つとして報いることがなかった。 だれかのためになにかしてやりたいとお…

「私たち」のプランA、または安全神話について

COVID-19蔓延をめぐって、多くのシステムのほころびが明らかになっているように思う。岩田健太郎氏のこのつぶやきなど、興味深い。 医療崩壊はリソースの無駄遣いと情報隠蔽により起きる。医療崩壊しないために事実を検証しない、事実を直視しない、事実を無…

人は易きに流れる

「三つ子の魂百まで」という。ただ若い時分の性質は、年経ると”変質”する。 このところ、コミュニケーション自体が面倒くさくなっているように思う。これがどういうことか、自分でもなんとか見当がつく。いちいち面倒なことをしたくないのだ。 コミュニケー…

『虐殺器官』と、現実の”おぞましさ”のこと

Amazonの閲覧履歴で『虐殺器官』を見つけて、思い出すようにオンライン配信を探している(そして大手にはコンテンツがないのをすでに確認済みなのにもかかわらず)と、Googleの検索候補には、映画版や原作に向けられた賛辞と愛情を綴ったブログをいくつも見…