2010-08-01から1ヶ月間の記事一覧

とけてゆくのだ。

からだが、溶けてゆく。 レヴィ・ブリュールの融即*1ではない、これは何か。体を締め付けられ、そして締め付けているのは他でもない自分自身であるということ。「何者でもない」こと、それが妙な形でこの世に生まれようとしている。確かに私は誰でもないのだ…

「目」がある

「何者でもない」ということ。当然、口にする者によってそれは様々に姿を変える。誰でも知っている。例示しよう。何の地位も持たない者であれば、存在価値を見いだせないという、苦しみの声。何かしらの地位・評価があれば、アンチテーゼ(…何がアンチテーゼ…

流れ、様相

言葉が現れるよりも先に、芸術的表現が現れるという。絵画、陶芸、彫刻、そういったものでイメージが表される、と。そこでは人々のパーソナルな部分が表され、文化的側面も十分に影響しうる。何らかの形での「光」。そこには様々な形式での表現が見出される…

茫洋の海、屹立する知

ことばにもならぬ音を発し続けていることにどれほどの価値があるのか。ここでは、あるとしか言いようがない。もちろん、それを言葉として認識できる程度の狭量さしか持ち合わせていない私たちにとっては、言葉とは単なるフィルターでしかないのだが。ここで…

書くこと、向き合うこと

そうでなくて、また論点から勝手に逃げて世迷言に走ったのですが、まあどうすんでしょうね。自分に向き合うっていうのはなかなかない経験なんですよ。剥き身で立ち向かうような経験です。私の場合はそう、人から悪意を向けられたときにそれに近い感覚があり…

「書き手になる」、その業のこと

また忘れてしまう前に書いてしまおう。吉本隆明の言らしいが、どうやったら物書きで食べていけるのですか、という問いに対して、毎日(20年間??)、一文字も文章を書けなくても原稿用紙の前に座り続けていることができれば物書きになれる、と応えたと。これ…

「場」としての言葉

すでに私は何かに取り憑かれたかのようにうわごとを口走っているのは分かっている。しばらくここで書き続けるのをやめることは出来ないだろう。 ここでもう一つ検討したいのは、場としての言葉だ。最近気付かされたことの一つである。知り合いの女性は言った…

「〜であるにもかかわらず」

世界が轟音とともに亀裂を走らせ、自身が立っているところなどないかのように地はひっくり返る。転変する。転覆する。分かり切ったことなど何もないと分かっているはずなのに、何かを分かったかのような気になって、つい私は足を滑らせる。そういったことに…

数日のコマ

ここ数日で思い出すもの。 「アイアムアヒーロー」(花沢健吾)のゾンビ。頸から上も膨れ上がって眼球と舌がはみ出した、あの顔。 「しまいもん」(IKARIN)の体が入れ替わってまぐわいしたもっさい男女。おれがおまえでおまえがおれで……。 いずれも考えてみれば…

収束

身体的パフォーマンスがイメージによって行われたとき、これまでにはない感覚が通った。スポーツとは、ある種の強制力を持つ。自身が試みたことが実を生さないと、過剰に振る舞われた身体は保留され、煽動された内面が動揺を起こす。もともとスポーツは苦手…

関心

以下を本日の起点とする。 内的体験への注意は、ある種のアンプとしての働き(増幅)をもつこと。 過当であること。過剰な行為・状態にあり、それを認識しておくこと。 言説を表明すること自体が快楽にあること。