「書き手になる」、その業のこと

また忘れてしまう前に書いてしまおう。吉本隆明の言らしいが、どうやったら物書きで食べていけるのですか、という問いに対して、毎日(20年間??)、一文字も文章を書けなくても原稿用紙の前に座り続けていることができれば物書きになれる、と応えたと。これでは質問に答えていないのだけど、少なくともそこまで精魂詰めて自身に「書く」ということで対峙し続けていくのは簡単なことではない。至難。あるいは丸谷才一。これも2年位前に挙げたような気もするが、「まだ見ぬ書き手へ」という問題作(だと私は思っている)で小説家になるには人を避け、山にこもり、食事を減らし…という求道者然としたことを書いていたような。あまりにも横暴かとも思われたが、やはり突き詰める所は吉本隆明と同じなのではないか。あるいは芥川賞受賞者は、言葉は違えど皆、言葉を紡ぎだすことに並々ならぬ精神の注ぎ込み方をしているとも聞く。毎日書き続けようとするのはつらい。つらいわ。ひとりごとではなく、外へ発するための「書く」こと。撥ね返るものも大きい。
かつて昨年の秋に混乱に陥った私も、それに近かった。文をいざ書こうとすると、狂おしいほどの混乱、恐怖が襲ってくるのだ。書けない!!書けない!!怖くて仕方がなかった。ちょいとした論文だったはずだった。1月ほどの遅れを出してやっと書きあげたのだった。怖さを抑え込み、とにかく書く。何でもいいから書く。それから話を始めよう、というくらいで。ああ、文章に何を期待しているのだろうか私は…。あるときは映し身。刺身。イルカの刺身食ってみてえな。クジラの肉も食えなかった世代ですよすでに私は!!ドンドン!!(机を叩く音)このグダグダ読んで、「ザ・コーヴ」でも観に行ってこい。
http://d.hatena.ne.jp/obsessivision/20090117
鵜呑みにしたり、真に受けたり、マジで怒ったりしたら負けな。