2014-01-01から1年間の記事一覧

「象徴」の捉え方

ただし「無意識的なものは外界の事物に投影され(この事物を「象徴」とよぶ)それゆえに間接的に意識される」ということは述べておきたい。だから、変容のプロセスを問題にするかぎり、すぐれて主観的な、融合にちかい体験がカウンセラー−クライエントの双方に…

行為と思考を「書く」

今週のお題「書くこと」 言葉、行為、もろもろの外部に気をとられてはならない。 思考は自らを駆動させ、賦活させる。これを省みずに生きてゆくこともできるが、果たして自足に適うかは保証されない。もっとも、「一定の水準」を境に思考そのものが自足の要…

陰鬱さを通じて「私」を捨てる

幸いにして「選」に入り、遂に雀躍するかと思っていたが、しかし案の定というか、大して驚きもしない自分の態度にむしろ驚く。むしろこれからの道行きの険しさを想像しては、不安やあせりや胸のむかつきは収まりもせず――おのれの至らなさを一瞥するだけで、…

選に漏れる、という夢

夢を見た。 選に漏れた私は、両手を初めからもがれたかのように、立ち尽くしていた。別に選に入ったからと言ってどうなるわけでもない。私が少し、きまぐれに、精を込めて作ったものを人の目に晒し、大勢のものと競わせようと思っただけだ。大して期待もして…

バズ、コメント云々

自分の言動を相対化し(視点を変えて)言語化する、という行為自体を解釈し、それを別の観点から言葉にする、という行為の集積がこのブログでやっていること、と言えばいいのだろうか。つい、博士論文の不正認定に関する記事を読んでいて気づいたことを書き…

食べること。と、理解すること。

かつて、“ラカンの書物に書き込みを行って呻吟し続けていたら、あるとき、書かれていることがみるみる理解できた。そのとき、沢山の書き込みを片端から消していった”というエピソードを聞いて今でも忘れずにいるのだが、抽象性をその硬さのまま呑み下すこと…

神話・妄言・仮説

(何事かを説明するにあたって)特に人文学の研究領域では「原理」は類例や反証と共に少しずつ書き換えられてゆくことのほうが大いにあるのではないか。 フロイトの原父殺害にしても、アウグスティヌスの兄弟嫉妬にしても――もちろん、まったく同列に置いてい…

書き散らし

・見者として俯瞰的にこれを捉えることができるならば。「できたならば」ではなく。 ・自らの肉体を削り落とすだけでは足りない。 ・周りの風に吹かれて、たとえば臆病風のような。自らのぶよぶよした欲望に何が入っているのかも分からず、もはや古びて内容…

窒息、高所、剽窃。

私が、いままでに何を「置き去り」にしてきたか。 このことは良く考えられねばならないだろう。 つまり、あるレベルでの分析のためには一つ上のレベルが必要だし、またその上のレベルについても分析が必要だと考えることでとり得る責任というのは、そこで設…

引責、悪意、愚かさ。

自らの不明という非を衝き、その非への責任を私が負うべきでありながら、全くこれを為すことができていないと言い募り、なじり、責め立てるような行為――つまり、難癖、言いがかり、いちゃもん、濡れ衣というやつ――は、逃げ場がないほどに追い込まれるもので…

で、どっちなの。

話を始めるにあたって、前フリというか宣言するのは礼儀に適っているともいえるのだが、それとは別の話として、自らの主義をわざわざご大層に準備しておく必要はあまりない、とおもう。 「私ってばこんな人だから」、これはもう死語か。「わたくし別に知性的…

衰微への恐れ

驚きべきことに、自らに安らう場所があることを身に染みて感じた時、いや、自らがここに永く住まうことになるのだと分かった時、私は好みが徐々に衰微していくことを前にも増して強く感じるようになったのだった。加齢のせいだろうか。身体的な不調によるの…

「理解」への努力

たとえば、難解とも平易とも見える文章を理解できたといえるのかは分からない。言葉は言葉として何かを示しているのだろうけれど、おそらく何も示してはいない。そこでかろうじて意図を汲み取る努力で流れに食いついていこうとするのだけど、そこでもまた、…

「問い」とは。

時間とは、他者とは。これに応えるのがレヴィナスであった。私には未だ、他者はともかく時間への関心が不明瞭である。そこに切迫性を見出してもいない。しかし、恐らく別様で凡庸な仕方で、時間を捉えているのだろうとは考える。「もう時間がないんだ。ここ…

幕間の声

たとえば再び、私が故ないところから備給を図るとしたら。盗んだ金で飯を食うようなものではなく、地元のスーパーで血のついた金を使うようなもの。 言うだろう、「もしそれが可能ならば、やればいい。その後は知らない。基本的に私は反対だが」と。誰かが私…

瑕・撞着。その先

以下は、今日の記事から、取りとめもなく思ったこと。 拙文は論理もクソもないが、そのまま残す。ブログ主の方、すみません。 http://yokato41.blogspot.jp/ことばは、数少ない知識から私を象るために選ばれる。 数少ない知識。そのなかで、私は数を拾う。 …

詩という表現方法

言葉の美感を求めるとき、何度も読み返すわけだ。 意味は通るか、聞こえはよいか、あるいは意味が輻輳するか、イメージは柔らかいか。その時々に、「詩」というものが言及されることがあった。かつて祖父は、年始に訪ねると勉強と称して詩をわれわれ兄弟に読…