衰微への恐れ

驚きべきことに、自らに安らう場所があることを身に染みて感じた時、いや、自らがここに永く住まうことになるのだと分かった時、私は好みが徐々に衰微していくことを前にも増して強く感じるようになったのだった。加齢のせいだろうか。身体的な不調によるのだろうか。ここで「安らわねばならぬ」「居なければならぬ」「守らねばならぬ」等という、自らを縛るような、「べき」で締められる観念によるものだろうか。何事も分からぬ。しかし、少しだけわかるような気がするのは、自分がどこかで野垂れ死ぬと本気で信じていたころは、自らの卑小さと狂気の訪ればかりを非常に恐れていたということだ。