で、どっちなの。

話を始めるにあたって、前フリというか宣言するのは礼儀に適っているともいえるのだが、それとは別の話として、自らの主義をわざわざご大層に準備しておく必要はあまりない、とおもう。
「私ってばこんな人だから」、これはもう死語か。「わたくし別に知性的だと思われたいわけではなく、純粋にこれこれについて考えるのが習慣になっていまして云々」、そういう自己規定は要らん、というのだ。話題を広げるのにわざわざ間口を狭める必要はなかろう。下手な文章書き――私も含めてだが――が陥りやすいワナの一つではないか。細かなトピックを覚えておくこともまとめることも不得手なのに、一旦自分を狭めてしまうなんて哀れなことだ・・・と言い捨てておきたいのだけど、実際はそうでもしなければ話がどこかに散逸してしまうから、規定の必要があることを忘れるわけにはいかない。ある観点から話を始めますよ、という宣言は、いわば前戯的な行為だといっていい。
それでも、一側面のみを切り取ることで見失われる話題があることは忘れてはいけないと思うわけだ。自己開示にも通じる必要性である。自らが拠って立つところを明らかにし、いずれ辿りつく撞着に少しでも準備をしておきたい。あるいは根本的な、動機となっている論理が端から誤りだったのではないかを確かめておきたい。よくいう話だ(私にとっては)、きわめてロジカルな人が、いかんともしがたい感情を原動力としていたなんてことは。