2011-03-01から1ヶ月間の記事一覧

アセファル

「アセファル」とは、ジョルジュ・バタイユが結成した集団。Acephaleとは、頭脳を表すcephaleという言葉に、否定の接頭辞aが付いたものであって、「無頭」を意味するという。これが転じて、“無頭人”の呼び名を得たのだろう。これについては詳細を知らないが…

論文

久しぶりに気鋭の(……そう私は思っているのだが)方の論文を読ませて頂いている。彼のケレン味あふれる語彙の選び方や、論理のつなぎ方は読む者をある種の感覚へ導く。これは違和感とも言う。ふだん使うことのない言い回しは、ある者には苛立ちや理解の拒絶を…

濁流と一滴

言葉とイメージ、これらを総動員して実際に使うことができるのはほんの少しに過ぎない。 いや、費用対効果の話ではない。それだけの労力を費やしてこそ、現実に効果が得られるのだと思う。営為に営為を重ねてこそ、形ともなろう。どれか一つの恣意的な選択に…

書く、という核

物を書くこと。いったい、どうすればいいのだろうか。 先日、『切りとれ、あの祈る手を』という佐々木中がパウル・ツェランの詩から引用したというタイトルの著書で、「なぜ、自分の作った作品を発表しなければいけないのか」と2人の学生から問われたことを…

地震をめぐる非被災地の人々

地震、天災は人々の色々な反応を呼び起こすようだ。 私の周りでも、近くのスーパーでは水と食料は激減し、薬局ではオムツの在庫がなくなって入荷未定の張り紙がされていたとも聞く。 あるいは人の反応では、2つ。 数日後に東京へ行くと言う教授に「先生!や…

『PUNK』感想

長尾謙一郎『PUNK』。これは、まだ分からん。 画風もスッキリし、煽るような描き込みがなくなっている。毒気を抜いたというか。今風、といえばいいのか。同時に発売された『バンさんと彦一』のほうがよほど好きで、連載時に読んでいた頃の季節はいつだったか…

ゼロ年代

ゼロ年代…どうやら2000年〜2009年のことを指すようで、最近はよくこの言葉を見かける。この時期の論客?宮台真司のこと?よく分からん。宇野常寛?以前アマゾンで「切りとれ、あの祈る手を」のレビューに書かれていた彼か。超越野郎は宇野常寛の頭の中にいる…

日の石抱き

今までになく精神的に負担がかかっている。朝から強い重圧感、抑圧感があり、屈みこむとたった今飲んだコーヒーが胃から逆流しそうになる。動悸もある。また一日が始まり、これが気の遠くなるほど繰り返されることを思うと目まい。周囲の人の存在がおぼろげ…

「切りとれ、あの祈る手を」第五夜

「切りとれ、あの祈る手を」第五夜、読了。 第三夜のみ感想を述べても仕方のないこと。連れに佐々木中を紹介すると「え、代々木忠?」と聞き返された。いや似てるけどね。こちらは各地で上映中だそうです。『YOYOCHU Sexと代々木忠の世界』。置いといて。 こ…

臆見

どうやら私は、「理解したい」という想いに取り憑かれているのかもしれない。 物事を見透(とお)し、その遥か先まで、私の周囲で起きている/起きていないこと、あるいは見えること/見えないこと、その有象無象を捉え切りたいと思っているようだ。しかし、勝手…

応答への返答

私は足踏みして、先に進もうとしていないのだろうか。目の前のことを恐れて、何もできずにいるのだろうか。 そうかもしれない。それは、真実だろう。見た目には、何もしていなければ「何もしていない」と見られるだけのことだ。たとえ何もしないながらも、そ…

「切りとれ、あの祈る手を」第三夜

佐々木中の語り下ろし「切りとれ、あの祈る手を」を読んでいる。今日は第三夜。読解能力の低さゆえ、一日一夜のペースになる。 思い起こせば…以下脚注。*1 論理だてて語ることが苦手なので、散漫につなげていこう。 氏の関心の焦点は、「読む」ことにあるよ…

深展――鍛造、精錬、合金

「深」展についてはすでに、その主眼を、自ら愉しむこととして水を向けてきた。さらに、その変化について表現してみよう。 刀剣の鍛錬を思い起こしてほしい。『鍛造』という用語がある。「金属加工の塑性加工法の一種。金属をハンマー等で叩いて圧力を加える…

深展――自涜、禁欲

いつのまにか、常に、質的な「深」展を願うようになっていた。 それは一つに、もはや目に見えることで周囲と競い合えなくなってきたから。例えば記憶力において。または分析力において、運動能力において。こういったことが私をどれほど苦しめてきたか。私は…

弩級の天才がいた。実物を見てみたい。これが自分の半分の年しか採っていないだなんて、信じられん。うらやましすぎる。そして、これからどうなっていくのか本当に楽しみで、本当に心配。もっと、もっと世界を広げてほしい。そのうえで、俗人を遥かに超えた…

無化

何もなかったことにしてください。私は何物でもありません。私が私であること、意識があること、正気でいることが苦しいのです。何もないところに連れて行ってください。風の吹く中で、それでも歩き続けるのは苦しいのです。私の身体的精神的な中核をなす部…

ノルウェイの森

『ノルウェイの森』映画版を正月に鑑賞。小説から得た印象とはやや異なる。しかし、トラン・アン・ユン監督がなおざりな作り方をしているとも感じない。身内の「やっぱり切り取り方によって違うよね」という感想、あれは分別ある者としての感情を抑えた追従…