ノルウェイの森

ノルウェイの森』映画版を正月に鑑賞。小説から得た印象とはやや異なる。しかし、トラン・アン・ユン監督がなおざりな作り方をしているとも感じない。身内の「やっぱり切り取り方によって違うよね」という感想、あれは分別ある者としての感情を抑えた追従や敬意だったのかもしれない。


「切り取り方が異なる」というのは同意できる。あれは、あの映画は、『ノルウェイの森』の一読者が描いた世界だ。映画版でしばしば話題になり、目を引いたのは<性>にまつわる事柄だった。もちろん、原作をはじめ村上作品の多くは、性に関する話題をまるで喉が渇いたから水でも飲むふうに、さりげなく挙げる。性的な話題を挙げること自体が、小説と同様に映画にも特徴的だと言っているのではない。逆説的でもなんでもないのだが、村上作品の特徴は性の描写方法にある、そう言っても反論は挙がらないだろう。ただ、この映画に特徴的なのは、小説でしばしば描かれていた性的描写の捉え方、表現方法なのだ。
たとえば直子は、ワタナベとの関係を「開く」「濡れる」という言葉で表現し、緑は性的な要素を絡めた想像をワタナベに語る。またレイコは唐突にワタナベとの肉体関係を望み、ハツミはワタナベの夜遊びに対して、怒りを抑えながら問い詰める。思い出してみれば、原作で言及された性的な話題はほとんど網羅されていたのだった。

性と死。エロスとタナトス、などとも言い表される。直子は映画版において、その中核にあるようだ。彼女は特にワタナベにとって性的な存在でもあったと同時に、死をも抱え込んでいた。今でも強烈なインパクトで記憶されているのは、直子の誕生日を祝う日、彼女はひどく張り詰めた表情で言葉さえも失っていた。唇は震え、両目は一点を凝視したまま動かない。何かに脅かされるように、その「何か」が内側から外側から今にも自分を決壊させるかのように。彼女はそこに存在していることすら苦しいのだ、と思わずにはいられない。他愛もない言葉、意味を持たない言葉を羅列することで、かろうじて彼女はこの世界で彼女の形を保っていられたのかもしれない。そして最後には、彼女は自ら命を絶ってしまう。自らをコントロールできない苦しさを抱えた者、という点で彼女は描かれていた。
しかし、簡単に想像できることだ。性と死は、よく馴染む。その代弁者として立てられた直子は、あまりにもありふれた言葉で縮約されてしまう。つまり、それだけなのだ。緑にしても、無邪気な顔をして「オ○○コ、オ○○コ」と言っていても不思議ではないが、ただそれだけの女性なのだ。中でも違和感が強かったのが、ワタナベの前で「わたしたち、まともじゃないのよ」とレイコと直子が言うシーンだ。彼女らは、自分が何を話しているのか本当にわかっているとは思えなかった。まるでそれが(流行という意味での)スタイルであるかのように色っぽく囁く。ワタナベを誘っているようにも捉えられる。もちろん、小説にも性的なほのめかしは含意されていたのかもしれないが、彼女らの仕草はあまりにも浅はかに映った。


映画では、あまりに多くの絡み合った要素が見過ごされ、削り取られている。そして、『ノルウェイの森』のテーマを性的な(そして死の)問題として描いてしまっている。トラン監督は少なくとも村上春樹のこの作品を“そういうもの”として捉えていることが、映像に明らかに表れている。そして、セクシャリティに焦点を絞った結果、原作に広がる“静けさ”は“激しさ”にとって代わられていると言ってもいいだろう。原作の小説を読んだ者としては、『ノルウェイの森』映画版はあまりに部分的に過ぎて、そのため不自然にも映った。まるで、原作のダイジェストを見ているような気分だった。まあもちろん、「人によって見方は異なる」のだ。あげつらってどうということもないが、やはり違和感は強い。


ここまでは演出や構成を担当する者に対する感想だ。多少非難めいていたが、だからといって役者までがひどいわけではない、というのがもう一つの特徴だろう。抜きんでていたのは直子役の菊池凛子だ。彼女は(トラン監督が作った)直子を体現していた。先にも挙げた、誕生日の彼女はすさまじい。発症手前の表情。激しさが強調される。震え、詰まる言葉。「喋れなくなる」とはどういうことかがありありと演じられる。感情の揺れ動きと言うより、感情自体が上手く流れないような印象さえも抱かせる。強烈だった。緑役の水原希子は、一言で言ってしまえば全然だった(特に台詞まわしがひどい)のだけど、あの軽やかさ、野生の小鹿が跳び回っているような健康そうな様子は印象的だった。とくに、ワタナベとのやりとり、寮の入り口へ向かって早足で進んでいくシーンは秀逸。「ねえここの人たちって皆何かをつかってシコシコってやってるの?」本当に楽しげな緑らしさがあった。他の人たちは映画の中にきちんと収まっていたようで、とりたてて何か言いたいというほどでもない。