自覚を促すことの難しさ
その人に、いわゆる悪意ではなく、攻撃性の潜在可能性があることに気付いた。いや、私自身のもつ人全般に対する怯えが反転して、その人が攻撃性を潜在させていると思ったのかもしれない…。
それは、先日依頼された件に対応するために彼のデスクで予定以上の時間を費やしていたときであった。彼は私の作業内容に関心を示し、進捗に難渋しているところへいくつかの意見を述べることで、私の作業の後押しを担ってくれていた。たしかに彼と私は共通の話題に対して、議論という形で知的なコミュニケーションを行っていたともいえるだろう。しかし、私が想像していた以上に彼が鷹揚な態度を見せていたことに、極端な言い方をすれば――私は「底知れぬ攻撃性を感じ取った」のである。
翼
到底あなたには追い付けないし、技法も蓄積も速度も腕力もない。それでも全力をもって臨めといわれ、破れかぶれでなけなしの第六感のようなものを使ってみたものの、なんだそれは、と言われた。そこから見えるものは何だ。それはどんな消息をたどるのか。言語化せよ、せめてAngeloにしてみせろ、と。絶望するしかなかった。私にはそれに翼があることすら知らなかった。当時の私としては、当然の帰結だったのかもしれない。
私は私なりにやるしかなかったが、もっとも致命的だったのは、息切れして動けなくなったときにすぐ、私が「私」というネグラを主張しだしたことなのかもしれない。当時、そのことが判る人たちは、そのような姿を、哀れみと怒りと、つま先ほどの同情をもって(くれていたのかどうか知らないが)見ていたのだろう。哀れなモグラよ、その目を潰してでもこちらへ駆けてこい、なぜならお前みずからが、せめてAngeloになりたいと思っていたのだから。今戻るな、お前の命は有限なのに、なぜ、どうして、そんなにあっさりと諦めてしまえるのか。
そういうふうに思って(いたのか分からないが)、彼らは私が姿を消すのを見送っていたのだろう。私は、いまでも昼間に夢を見る。いまなら知を知で洗う覚悟はできているだろうか。あの時叱咤を飛ばした者たちと一人ずつ刺し違えることが、できるだろうか。きっと私はAngeloにすらなれず、自ら羽をむしり続けるのかもしれない。そして、これから翼を生やす者たちに、骨だけの翼で飛びかたを教えようとするのかもしれない。哀れなことだ。初めから翼を持つ者は選ばれているのかもしれないのに。
映画の感想文とは、わたしにとって何だったのか
20年弱前だった。映画を見たいと思い、映画について何か書きたいと思った。
それが意味することを考えることができなかった。ただ、偏執的に映画を映画館で見続けた数年間があり、それを証そうとするかのようにブログに感想を書き始めた。ありていにいれば、それは自らの足跡を残すための――自分の行為を無駄にしたくない、なけなしの金を空費したと思いたくないという、せせこましい動機から明らかに始められたものだった。そしてブログを続けるほどに、私は隘路にはまっていった。私の文章といえば、書き始めた当初から衝動的な面を多分に含み、ゆえに語彙や思慮を欠いて始まり、自分の言葉にならない部分を形にしようとする試みに終始していた。実に、それだけのものだった。自らの綴ったことばを技術的に振り返ることもせず、ただ言葉を垂れ流すだけだったと言ってもよいかもしれない。当時の自分も、その体たらくを認めるだろう。怒りと反発を前面から引きさがらせることもできずに。まったく一般的な文章の様式と論理展開のテクニックを身に着けず、ただ自分の「美意識」=「プライド」=偏屈と無知に固執するまま続けられたそのブログは、外部サイトに投降した感想文をきっかけに身近な者をはじめとして知られることになり、彼らも当然のようにそれが自己愛の副産であり、自慰行為にすぎない稚拙な落書きであることを見抜いて、それを笑った(「嗤った」と書くほど私は他責的ではない)。しかしどうすることもできなかった。私の抱えていた思いは、そのまま私の行き止まりだった。「どうすることもできなかった」のだ。そう、あのとき抱いた望み、物書きになりたい、映画評論で食べていきたい、という望みは、ただ行き詰まった者の呻きに過ぎなかった。もし仮に、文章を書こうと思った理由があるとするならば、映画を見たときの衝撃、感情、ことばにならない体験を残し、刻み、歪め、毀し、変え、産むだけの強度をもった手段として、言葉を信頼したかったからということになる。それは取りも直さず、言葉に触れる機会が他の体験よりも多かった者の帰結に過ぎない。だから私は、特定の相手に対して向けられた攻撃的な言辞によって相手を傷つけるのではなく、皆を狂わせる言葉を練り上げたいとも思ったのだった。
言葉にならない感情
この人は、私が言葉にならない嫌な感情を喉の奥に潜ませていることを知っていて、しかしもうひとりの家族のよりよい生活のために、それに気づいていることなどおくびにも出さず明るい声で私とコミュニケーションを取っているに違いない。私はどれだけこの人を裏切り続け、自らの妄想の中で不遇をかこち続けてゆくのだろうか。自らを鎖(とざ)しこめているのが他ならぬ自分自身だということに気づきもせず、なにやら「言葉にならぬ感情」なるものに気づいたふりをしながら、またその感情に飲み込まれていく。そして太陽は中天にまで昇る。
そのころには、もう幾分か気が晴れているのが常なのだが、それが何故か考えたことはこれまでになかった。最近また内省しがちである理由は、すでにわかっている。ここ1ヶ月とそこら、とある方と毎週1度は立ち話をしているからだ。その方がいう直感の症状的かつ被操作的なはたらきを理解して気の利いたことを言おうと自らの感じるところをチューニングしようとしていたからだ。そう思っている。それから1ヶ月ほどして仕事が忙しくなり、気づくと感情の整理ができなくなっていることに気づいた。――いや、より精確にいえば、昔習った「自己開示」という技法で自らの感情をできるだけ率直にかつコミュニカティブなレベルで伝えようとして、結果的に感情がいつもより多くの場面で意識上に染み出してくるようになってきたのだ――このように書くと、その方と話していたことが原因であるかのように見えるが、実際のところ明確な因果関係などわかろうはずもない。ただ、そういった流れで兄弟とのあいだにヒビが入り、数年前に彼と久々に会って話していたときに奇しくも口にしたような「決裂」が、思ったよりも早くやってきたわけだ。あのときのやり取りがあまりにも受け入れがたく、私は携帯電話から一日も経たず履歴を消してしまった。恥ずべき言動とその顛末を、恥ずべき行為によって覆い隠してしまったのだ。これから何度でも思い出すことにしよう。こうやって今まで、自分にできるかぎり悪質なやり方で傷を付け、記憶に留めておこうという試みをしばしばやってきたことが記憶に蘇ってくる。その場において最善を尽くすことができず、剰え損失を被る仕儀となって初めて次善のパフォーマンスを達成するなど、誰ものぞみはしないことなのに。それは単なる自己満足でしかない。この出来事は極めて私的な事柄に過ぎず、伝えていくこともないのだから。
こういう体験を言葉にしたいと思うときがたまにある。誰も望みはしない、そして誰もが感じているであろう、つまり益体もない体験を、どうにかして傷を作るための装置にしようと思うときがある。言葉を連ねること、私にはそれしかできない。「文字を綴る」でもなく、「文章を書く」でもない。ただただ譫言を連ね続けよう、と。それは私自身の罪を私が忘れないためでもあり、私が人の形を保つためのあがきなのかもしれない。ろくに言葉の使い方を学びもしなかった屑のような生き腐れが、ほかにできることなど何があろうか。近頃の世相によく似合った思いではないか。もはや私の晩年は目に見えている。
老いとぜつぼう
私はしだいに老いてゆき、そして後悔と絶望を濃くしていくことだろう。
何もできなかったこと、何もしなかったこと、何もしてやらなかったこと。
これらは全て私の責のもとにあり、どれ一つとして報いることがなかった。
だれかのためになにかしてやりたいとおもったとき、それはつねにすでにておくれなのだ。まさに、「ひとのためになにかする」ということをはじめてしり、そしていままで、わたしがそのきかいをすべてみすててきたということをしるしゅんかんが、そのときなのだ。なんということだろう。なんというくるしみだろう。しかし、くるしみをくるしむことすら、わたしにはゆるされていない。わたしがじぶんのかんじょうをしることすら、まぎれもなくまんちゃくなのだ。
ぜつぼうせよ。くるしめ。それでもなお、おまえがぜつぼうをしることはなく、くるしむことはない。おまえはじごくにおちる。ただ、それだけだ。
「私たち」のプランA、または安全神話について
COVID-19蔓延をめぐって、多くのシステムのほころびが明らかになっているように思う。
岩田健太郎氏のこのつぶやきなど、興味深い。
医療崩壊はリソースの無駄遣いと情報隠蔽により起きる。医療崩壊しないために事実を検証しない、事実を直視しない、事実を無視矮小化すると猜疑心からさらに医療は圧迫される。都内の感染率を調べて出すのが最適手なんだけど。昔から厚労省は事実よりも物語主義だからな。
— 岩田健太郎 Kentaro Iwata (@georgebest1969) 2020年3月29日
現システムを守るためだけに、事実を検証せず、直視せず、無視・矮小化する。自らの物語を優先していい状況かどうかを判断することが、「内部」に居る人々にとってどれだけ難しいことであるのかが想像される。
自分が持っている考え方に対して、特にその偏向性(バイアス)や不正確さを注意しておくことは重要だ。いったい何が「正しい」のか、と。そのような点で、以下の記事はとても参考になる。
日本人マルウェア開発者インタビュー(前編) プログラムの「悪意」とは
日本人マルウェア開発者インタビュー(後編) 攻撃者が考える「良いセキュリティ専門家」とは?
この記事でいう「日本のセキュリティ・エバンジェリスト」のスタンスは、『音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 』で挙げられた音楽の評論家によく似ていると思った。リテラシーの低い層を相手に、自分のリテラシーを切り売りするという点で。
これに対して、海外では“「起きてからどうする」っていう「Do」の発想”なのだという。「多重化は、信頼性ではなく、迅速に対応するための時間稼ぎにあったりする」という点など、まさに現在の新型コロナウイルス流行について、岩田健太郎氏の指摘する「プランAだけでなくプランBを」にも通じる。そもそも海外ではプランBという状況を織り込んで話をしているということなのだろう。
この「日本のセキュリティ・エバンジェリスト」のふるまいは、この風土の特質をよく表していると思う。
自分たちが使っているシステムに疑問を持たず、平時の運用技術にのみ特化したスペシャリストであろうとする人々は、何かあったら提供者(ベンダ、サプライヤ)に任せればよい、という。じゃあ提供者にも被害が及ぶような状況なら、われわれは一体どうすればよいのか?という問いは、その空気のなかで無かったことになる。
学生時代の仲良しグループで遊んだ時に私の車で移動することになって
— 佐藤ツマ子 (@SATO_TSUMAKO) 2020年1月4日
そのうちの1人がチャイルドシート無しで子供を乗せようとするから乗車拒否したら他の子に
【空気読もうよ…】
と言われたので
【子供の命より大切な空気なんてなくない?】
と答えたら空気は凍ったけど、他に答えようがなかった。
いったいどれだけの人々が、自分たちの置かれた状況をただしく把握しようとしているのか。どれだけの人々が、自分たちが危機に陥ったときの対策を考えているのだろうか。
この「日本のセキュリティ・エバンジェリスト」は、現在のコロナ禍に目をつぶる日本人とみても面白いだろう。そこで浮き彫りになるのは、現在のシステム破綻にもかかわらず、そのシステムの正しさを強硬に主張して内ゲバになだれ込むような、臆病で視野の狭い内弁慶たちの姿だ。
人は易きに流れる
「三つ子の魂百まで」という。ただ若い時分の性質は、年経ると”変質”する。
このところ、コミュニケーション自体が面倒くさくなっているように思う。これがどういうことか、自分でもなんとか見当がつく。いちいち面倒なことをしたくないのだ。
コミュニケーションとは、基本的に”異なる言語”を話す「他者」との間で言葉などをつかって関係を形成することだ。たいてい、その”異なる言語”はすぐに理解できるものではない。だから質問したり、言い換えてみたりして相手の意図を知ろうとする。相手のアクションがテンプレートであったとしても、だ。コミュニケーションは、双方のやり取りのうえで成立するものであって、ときに文脈抜きでは理解しきれないような微妙な表現であることも十分にあり得るからだ。
つまりコミュニケーションにおいて、私たちは目の前のわからないことと付き合わなければいけないわけだ。年を取ると、それが大変鬱陶しくなる。だから、どうするか。
相手に質問をしない。
自分勝手なことを言う。
自分の無理解を相手に転嫁する。
こうやって、人は易きに流れる。…いや、年齢はあまり関係ないかもしれない。若くても相手を理解しようとしないやつなんて山ほどいるもんな。マウンティング、いじめ、目立ちたがり。そうやって人を踏みつけにする快楽を知った者は、死ぬまで知性に触れることなどないだろう。知性は、保身や攻撃のためにあるのではないのだよ。絶えず自分自身の足元から見直そうとすることしか、知性とは呼ばない。それ以外は、単なる反射運動だ。
その点で、私の足元を突き崩すのは、コミュニケーションに対する回避的な態度だということを改めて記しておく。