2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧

――――――――(以下9時頃の雑文)―――――――― ・山脈の絵を描くことを想像してみよう。どこから描き始めるか。山の周りから描く人もいよう。中腹から、山頂から、尾根から、空から。それぞれである。大方の素描を自らが抱いていれば、どこからでも構わないだろう。…

発光、換喩

(これに対し)「日本的な光」には、主体と世界を媒介する「光」という発想、あるいは光とまなざしの同一視といった発想が欠けている。障子、行灯、提灯の昔から、丸形蛍光灯に至るまで、「日本的な光」は、しばしば点ではなくて面から発せられてきた。 そこ…

タテイト、ヨコイト

ワンテーマでひとくさり書くとして、通常、完成稿のアイデアだけ発案して最短距離で作り上げるなんてことはできやしない。当たり前のことだと言うだろうか。これをはっきり意識したのは恐らく初めてだ。これから繰り言を重ねていく時のディレクションとして…

ヘリクソ

しだいに、ヘリクソをこさえる技術が身についてきたようで、性懲りもなく自分の言ったことをしばらく手放さずにグニグニと指先で丸めて手垢まで擦り込むくらいに練っているくらいの往生際の悪さはなかなか数年前とは味わいが違うとは思う。が、それと同時に…

「私は私」という玉座

何を書くか。何故考えるのか。気にかかるのは、いつもそこばかりだ。 該博な知識に裏打ちされるような類のものではない。たしかに知識を溜め込むのもやぶさかではない。しかし、いつかは年を経ると忘れ去ってしまう。時々、ボケて全てを忘れ去ってしまうこと…

NINIFUNI(覚書)

世界の底が割れるような感覚は、これまで見てきた映画にもいくつかある。そのなかでもこの映画は、自分にとってごく自然に馴染んだような感覚を抱かせた。“世界はぼくに気付かない。”キャッチフレーズというやつか。この言葉がわたしの見た映像をそのまま十…