ヘリクソ

しだいに、ヘリクソをこさえる技術が身についてきたようで、性懲りもなく自分の言ったことをしばらく手放さずにグニグニと指先で丸めて手垢まで擦り込むくらいに練っているくらいの往生際の悪さはなかなか数年前とは味わいが違うとは思う。が、それと同時にヘリクソ固めるのに必死で、空気を読むこととの兼ね合いの中で自分のヘリクソを相手にうまいことなすりつけるのを相手と真摯に議論しているつもりでいたことに今日気付き、とんでもないところにはまりこんでしまったのではないか…と背中にクソの臭いを感じたのだ。これはいかんですよ。そりゃ冷静を装って一つ一つ説明するのは百歩譲ってもまあよしとして(いやいやダメだろう)、そこまでして相手に折れない理由がどこにあるっつうの。えー分際を知ると言うのは、身の程を弁えるということであって、空気読め、ダニがわめくな、ということなのです。メリットのあるなしではなく、相手を怒らせても何にもならないところで「ほらぼく死ぬよ、死ぬ覚悟あるんだよ見てよ」とわざわざコンビニで買った刃物系を片手にザックリザックリやって見せる、そんなこれ見よがしの浅はかでクソタレな態度は私の最も唾棄すべき人の姿だったのではないか?首吊るんなら見えないところでやれよっての。どうやらまーーーーーだ理解していないらしい。一貫することにこだわり過ぎて、一貫しているのは論点ではなくてヘリクソ捏ね続けるという一点にしかなかったというのはほんに泣けるわ。はい私もこれでアウトアンドドロップ。意味分からん。