発光、換喩

(これに対し)「日本的な光」には、主体と世界を媒介する「光」という発想、あるいは光とまなざしの同一視といった発想が欠けている。障子、行灯、提灯の昔から、丸形蛍光灯に至るまで、「日本的な光」は、しばしば点ではなくて面から発せられてきた。 そこ…

流れ、様相

言葉が現れるよりも先に、芸術的表現が現れるという。絵画、陶芸、彫刻、そういったものでイメージが表される、と。そこでは人々のパーソナルな部分が表され、文化的側面も十分に影響しうる。何らかの形での「光」。そこには様々な形式での表現が見出される…

ついった寄せ

・生活感。置かれた環境を客観視、対象化して自らの世界を再構築すること ・生活感。補填的 ・巨大ロボの全体像とエンジン、駆動方法 ・イメージ←(環境要因)→性格傾向という単対応は×? ・価値観…神などの単一の存在定立条件…やまだようこの他界観研究など…で…

テーマ絞る(イメージ)

「〜という光」。テーマを特定、絞るための方法。まさに光という至るところに溢れているものに対し、かかる視点からその性質の理解を試みる際の旗揚げを行うこと。少なくとも、専門分野に資するには何が必要かを明記せねばならない。「光」から何が分かるの…

論理の筋道、堆積した経験と経験の隙間に現れるもの。対象を単一に取り上げ、その特徴をのみ言及することはできない。いかなる文脈から現れたのか、それが最も重要な話題である。個別的だ、一般性がないと言うか。それをなぞるように現れる物事を傍証として…

光/闇の不均等さ

迷いを闇とし、悟りを光とする。これは、闇が環境・状態であるのに対し、光は瞬間の現れであるという点で不均等なもの。しかし光を、闇を打ち破るもの、というだけでは理解ができない。2つの相に本当に分けられるものか?闇は光が当たらぬ場所であるなら、光…

対象/媒介としての光

光とはその現れにおいて、大別して2つの仕方を持つ。すなわち、対象としての現れと媒介としての現れである。前者は、相対的な暗さから見出される光の現れであり、後者は普く光のある世界において「ものが見える」ことにおける媒介としての光の現れである。前…

『盲者の記憶』引用

ところで、「見えざるもの」のこの「幻(ヴィジョン)」から出発して、そのすぐ後に、天使は書くことを命ずる。感謝するためには、すなわち恩寵を返済するためには、出来事の記憶を書き込まなくてはならない。(……)語りの記録文書、書き記された物語は感謝し恩…

激越、痕跡

*1光という体験に「激越」が同期する。それは現実での自然光ではなく、神経が極度の負荷を受けた状態で幻視する光である。それは全心身を突き抜けるほどのもの、身体を駆け巡るエネルギーの奔騰に身を引き裂かれる体験。“言語を絶する”体験がまさに形をなす…

「有罪者」抜き書き

大事なことを書いているんだろうけど、何せ主語が何かとか、何をもって論をつなげているのか分からなくなることがある。わざわざ引用してすぐに書き換えられる場所でこうやってアホみたいなことをやってみるのもなかなかタメになるんじゃないかと思ったりす…

恍惚と背反

何かを捉えようとする我々の態度は、大きく二つに分けられる。意識において足跡を確かめながらの理性的把捉と根拠なしに存在的様相を一挙に捉える直観的把捉。両アプローチが葛藤し同時に生起するのは、我々が意識的状態で意識的に捉え得ないものに立ち会う…

光/闇の知覚による罠

とりたてて執拗に人にとっての全的な光の意義を追求する必要はない。充溢とは量的な集積ではなく、あくまで質的な達成でしかない。眠りの内にある者はそこに浸り続けることを愉しみとし、翻って陽光の下にある者は、その明るみを“我”の明るみに置き換え、よ…

光のとらえがたさ

それながらにしてそれではない――例えば、自らの理想を一つの対象に与える一方で、自身のアイデンティティが全く成立しないような状況。光はそういった人々の願望や妄想を一身に受ける。しかしその熱い眼差しの一切を、伸ばされた数々の手を簡単にすり抜けて…

『有罪者』抜き書き

亀裂した、閃光にみたされた深みの底の底へ投げこまれて、叫ばんばかりに愛すること――深淵の底に在るものを知ることは、もはや問題ではないのだ。私はまた燃えたったまま書いている。もっと先へ行こうなどとはするまい。何も付け加えることはない。空の大火…

深海魚や『ディセント』について

言うまでもなく、光は我々の世界に満ちあふれている。少なくとも1日の半分、太陽の恵みたる光を糧として我々は生かされている。もちろんそこには我々が光を糧として受け入れるという進化的過程があったことを忘れてはならない。もし光の少ない場所において生…

メザスヒカリノサキニ…

光の先にあるもの、それは人々の妄想でしかない。そこに「ある」と思っているものなど、人々の願望の照射でしかない。なぜなら、光そのものに実体はなく、よしんば先に向かうことがあろうとも、そこには実在物はありえない。あるとしても、それは単なる光源…