深展――鍛造、精錬、合金

「深」展についてはすでに、その主眼を、自ら愉しむこととして水を向けてきた。さらに、その変化について表現してみよう。
刀剣の鍛錬を思い起こしてほしい。『鍛造』という用語がある。「金属加工の塑性加工法の一種。金属をハンマー等で叩いて圧力を加える事で、金属内部の空隙をつぶし、結晶を微細化し、結晶の方向を整えて強度を高めると共に目的の形状に成形する。古くから刀工が日本刀など刃物や火縄銃の銃身の製造技法として用いており云々」とある。どこかでも鍛造について心理的な考察とそれに伴う議論がなされていたように思いだす。いずれにせよ。金属の強度を高め、目的の形状に成形するように、自らを作りなおすことを望んでいるようだ。息もできぬほどに集中し(金属内部の空隙をつぶし)、思考や行為を徹底的に意識化・分析のふるいにかけ(結晶を微細化し)、思考や行為の内容だけでなくそれ自体を体系化し(結晶の方向を整えて)、望むあり方に自らを整除する(目的の形状に成形する)。おそらく、こういった金属加工になぞらえるとすれば、同時に精錬(不純物の多い金属から純度の高い金属を取り出すこと)も重要であろうし、合金(単一の金属元素からなる純金属に対して、複数の金属元素あるいは金属元素非金属元素から成る金属様のものをいう)とするように自らを造ることも考えておくべきだろうか。
しかし、息もつけぬほどに日々を送り続けるのは苦しい。束の間さえも快楽を享受することを許されないのは辛いことである。だがここに来て、その重要性を更に検討する必要を感じている。発狂するかもしれないほどに、より追い詰めていこう。