日の石抱き

今までになく精神的に負担がかかっている。朝から強い重圧感、抑圧感があり、屈みこむとたった今飲んだコーヒーが胃から逆流しそうになる。動悸もある。また一日が始まり、これが気の遠くなるほど繰り返されることを思うと目まい。周囲の人の存在がおぼろげになり、自分自身もまた何をしているのか、何処に居るのか、その必然性が感じられない。いつだったか、結婚相手が欲しいと言うていた(その前には彼氏に食事を作らないといけない、料理のレパートリーを増やさないと、と言っていた)女性を見て底抜けにむなしくなり、また周りの人々が快活に笑っているのがまるで他人事のよう。ただただ私を含めこの世界がここにあることがよく分からない。巷では地震の騒ぎがあり、被害を被っていないこの場所で皆は云々しているが、そのことさえも良く分からない。端的に自身をコントロールすることができない。これまで調整を利かせていた発話のスピードが混乱する。この先何をするがよいか分からぬ。物事が頭に入ってこない。疲れが押し寄せる。睡眠不足が理由だろうか、さてどうなのか。
ここにいる私はこれを恢復させようとも思わないし、そもそも恢復させるさせる手立てさえも知らない。理由はこれまでに飽き飽きするほど書いているが、簡単にまとめておこう。
まず、恢復させる気がないことについて。これまでの行いがまっとうに行われてこなかったことの憾み。これ以上手綱を緩めたままで進むつもりがないため。自分の嫌がることをのみ行う、と決めた。まるでフルスロットルでエンジンをふかし、その力の4割を制御に充てているような感覚。差し引き残り2割は何とかまともに動けている証拠。
次に、恢復させる手立てがないことについて。端的に思いつく恢復方法はただ部分的なガス抜きに過ぎない。そんなものは誤魔化しているに過ぎず、それを行うこと自体俗悪の極み。それでは何も行っていることにならないし、何を解決させるわけでもなかろう。そんなことをするくらいならば、現実的な作業に充てたほうがまだまし。相対的に見ても詮無いこと、同じことだし、今ここで他の基準を援用しても自分自身に適切な答えを与えられると誰が保証できるのか。もしかしたらまだのびしろはあったかも知れないのに、ともなりかねない。絶対的な比較、というのはそもそもありえない。徹底的にやるしかないのだ。自分が精神的に脆かろうが、それを逆に周囲に主張するのは愚劣でしかない。もしかしたら私は当然のことをできていないだけかも知れないのに。ただ最適解を行うこと。言葉を削り、自らを削り、根拠さえも剥ぎ取り、安楽を奪い、それでも走り続けることを強いよう。すでに、答えは存在しないのに。どうすればいいのか分からないのに。それでも。


ああ。早く死なねえかな。*1

*1:自分の文章何度も読んで何を探しているのか。何も決定的なものなどないのに。浮かばれぬ奴。