母胎回帰

…「母胎回帰ストーリー」は,被告人は母子一体の世界を希求する気持ちが大きかったところ,被害児を抱く被害者の中に母親類似の愛着的心情を投影し,甘えを受け入れて欲しいという感情から抱き付いたのが犯行の発端であり,被害者を殺害後に姦淫したのも自分を母親の胎内に回帰させる母子一体化の実現であるなどとするものであるが…

最高裁判例 平成20(あ)1136 殺人,強姦致死,窃盗被告事件  
平成24年02月20日 最高裁判所第一小法廷 判決 棄却 広島高等裁判所

身近な者との会話の中で思い至ったことから考えてみよう。
光市母子殺害事件で心理士の提出した犯罪心理鑑定報告書に、「母胎回帰ストーリー」が上がったことが語られた。この言葉のみを聞いて抱いた印象は、心理学における象徴的解釈への違和感を説明しうるものだったように思う。象徴的なものと現実的なものを混同している、と感じたのだ。象徴的解釈とは、あくまで現実の出来事を理解するための方法や手段に過ぎず、それ以上越権できはしない。心理的アプローチを行う者は、この異なりを意識しなければ、自らの言葉で容易に何事も説明できると思いこみはしないか。特に、どの学派とは言わないが、象徴性を重要視する者はこの陥穽にはまりはしまいか。例えば、蛇のミニチュアを使ったらウロボロス的だと言われて、何を理解すればよいのだろうか。ウロボロスがこの場で何を示しているのかも説明せず、古めかしいことばを先に言った者に権威が付託されるかのように、わざわざその言葉を使っているかのようだ。好意的に見て、長年の経験に裏打ちされた直感でその言葉が自分に閃いたのだとしても、自らが発する用語が特殊であればあるほど、所属している集団内での受け入れられ方、あるいはその用語自体のコンテクストに注意を払うものではないのか。
実際のところ、上記の提出された報告書の内容をあらためて読んでみても、即座に十分に理解できるとは言い難い。犯罪心理には理解し難いものがあるとしても、それを十分かつ可能な限り明確に説明を行うよう努めねばならないのではないか。ましてこれが法的判断を行う場であればこそ、物語を解き明かすような語り節で後付けの説明を行っても、それが十分に貢献しえるとは考えにくい。犯罪者の心理を汲み取ったつもりが、勉学を積み重ねてきた自らを慰撫するような、称賛願望を滲ませたものだったという可能性もないわけではない。
死刑判決それ自体については、理解の及ぶ範囲が余りに小さいため割愛する。

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・鑑定者は死刑廃止論者であった。目的がすでにあった
・「犯罪は犯罪である」こと、法的判断が重視されていない
・心理理解そのもの、他のどの分野でもバイアスは抜きがたい