臨機応変さ

何事にも臨機応変さが求められる、という。その場に応じて細やかな対応をすること、自分はこれがかなり苦手だ。
これこれこういう決まりがある。しかし四角四面に相手に押し付けるのではなく、状況の変化に応じて適宜調整をしていく…しかし相手は人だ。決まりを作ったのも人だ。結局、生身の人間との板挟みの中で動かなければならない。それって、あまりに難しいことなのではないだろうか。


たとえば、梅雨の時期にお客が来たとする。暑くもあり、雨足も強い。この人に出すお茶は冷たいものと熱いもの、どちらがいいのか?
これを教えてくれた人は、「その人にまず聞いてみる」と言った。微妙な状況で、まずその人の意向をうかがうというのだ。


もちろん、いつも微妙な状況ばかりだとは限らない。雨でぬれているのならタオルを出すだの、急いでいるのなら早急の対応を行うこともある。自分の判断で行えるのならば、それに応じた行動をやっていったほうがいい。
しかし、初めに挙げた微妙な状況下での対応は自分の判断だけではどうしようもないことでもあるし、まずもって「判断しにくい」と判断するところもまた難しい。自分勝手に動くわけにはいかないのに、独断で動いてしまうと後で面倒なことになることもあるだろう。相手が怒っているのに気おされて、相手の言うがままになって後で面倒になるなんてことは、よくある。


私はどうしても、“人の感情までも相手にしないといけない”と思ってしまう。そんな難しいことを、臨機応変にやっていけ、なんて酷過ぎる。ずっと周囲の人の気を使っていかねばならないなんて……
しかし、相談した人のいうには「基本的に感情までも相手にする必要はない」らしい。相手にするのは状況、環境だけでいい、と。
どういうことなのだろう?結局、人と人との板挟みで動くのならば、感情だって相手にしていかなければならないんじゃないのか?


そういうことを言っているんじゃない、人によって対応が大きく変わるなら、それは不公平だ。だから、まずルールを守ったうえで、融通を利かせていくのだ。感情まで相手にしていたらきりがない。それに、言うべきことは言わないといけないじゃないか。


確かにそうだ。私の場合、“感情まで相手にしないと”と思うあまりに、動揺しているのか知らないけど、必要のないルールアウトを数多く犯している。まず、決められたことは何かを分かっていることが、何よりも必要なんだ。そして分からなければまず聞くべきなのだろう。


またその人が言うように、臨機応変さには、「できるだけ多くの選択肢」と「観察力」が求められることになるだろう。

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では、「聞かなくてもいいことを聞くな」と言われる時、どうやってそれを判断しないといけないのか?
知っていることと知らないことはまず、はっきりさせておくべきだろう。それだけで面倒は少なくなる。聞いたことは書きとめておくなど、対応は様々にできる。だが、相手が「伝えた」と思っていて、実際は「伝えていない」時は?


「聞いていない」と答えるのも選択肢の一つだ。だからといってあれもこれも「聞いていない」と言うわけにもいくまい。この場合、予想できる限り考えて、行っておくこと。そして端的に確認のみにしておくこと。当然のように、ルールアウトをしてはならないのだけど。


常々思うことに、私のいる場は「単独で前例を作らないこと」が基本なのだな、と思う。ルールが崩れてしまうからだ。前例を作るのであれば、その場にいる者の了承を得て行わないといけない。

ルール内での臨機応変さ、臨機応変さに必要な観察力と選択肢、意識せずに行えるにはどれくらい時間がいるんだろうか。