くつがえされた

「それでも、生きていくことが大切なんだ」と言う。主語なんて要るまい。私が何度も何度もこの言葉に引っかかり続けているのは、自らに与えられた環境、特質、歴史、生活、欲望、その他もろもろをひっくるめて我々が呼びならわす「生」が、決して答えとして唯一のものなどと考えることができないからなのだ。もっと簡単に言おう。さんざんグチグチ言ってる割に、なぜあなたは自らの命を絶つことだけは嫌がるのか?それに、なぜあなたはこの問いにしっかりと私を説得できるような答えを準備しようとしないのか?人道主義を気取った者が命の尊さを高々と謳い、屋上から今にも飛び降りようとする者をひきずり上げて説教を喰らわす――その光景は、校門で待ち構える教師が登校してきた生徒に向かって、頭髪が耳にかかっていることを理由に有無を言わさず殴りつけるような光景によく似ている。「なぜ?」という根本的な問題に目を向けようとせず、「ただ生き続ける」というルールを墨守することに無上の喜びを感じる性的倒錯者……もとい、彼らは恐らく、この問題を直視することができないのだ。直視することはすなわち、当たり前だと思っていた自らの人生の安定を揺るがすような事件となりうるからだ。私は不幸にも未だかつて、この問いにはっきりと説明できた方をお見かけしたことがない。心やさしくも説明をしてくれた方々には、「だってそうだから」と強弁する輩か、眼の前でモロモロと崩れた論理を自らの欲望によって塗り固め、牽強付会の論理で説き伏せようとした者しかいなかった。