海炭市叙景・チラシより

わたしたちは、あの場所に戻るのだ。

2010年冬に公開される『海炭市叙景』のコピーには、こうある。この映画に付随するのは、原作者佐藤泰志の「不遇」、スチールに映る加瀬亮谷村美月の薄暗から左方を見つめる、不安と哀しみの入り混じったような虚ろな表情*1。ここで私が想いを馳せるのは、自らを「わたしたち」と言う原作者や登場人物である。栄華にあれば自らの来し方を思うこともないだろう。そう、望まぬ境遇に置かれればこそ、否が応にも人は自身にわずかにでも立ち戻らなければならない。このような文脈で語られるとき、遂に向かうべき先は自らの故郷となるようだ。「あの場所」、それは恐らく登場人物の生まれ育った海炭市、原作者の生まれ育った函館市であろう。何かを喪ったかのような暗い表情で「戻る」べき場所は、彼らに残された最後の安住の地しかない。その地での体験が幸か不幸かいずれにかかわらず、「あの場所」は原体験として描かれる場所であり、それが故郷なのではないだろうか。故郷、それは理想郷などではなく、未来と比すれば過去とも呼ぶことができるだろう。
私はまた石川啄木の歌をここで思い出している。『故郷の訛り懐かし停車場の人ごみの中にそを聞きに行く』、『はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る』など。この映画で、私が想像するような貧困、孤独、失意・失望が描かれているのかは分からない。ただ、もし『海炭市叙景』が原作者のうつしみとして捉えられ、語られているのであれば、少なくとも原作者/登場人物の「わたしたちは…」とはもはや誰に聞かせるわけでもない、最後のほうに残る独白となり、ただひたすらそこへ向かい、向かうことしかできなくなった人々の決意にも似たつぶやきとなる。
しかし、なぜこのコピーが読み手である私にまで差しのべられているような感覚に襲われるのだろうか。「わたしたち」。「わたし」ではなく、何かしら共通した体験・想いを抱く複数の人々。「あの場所」と呼ばれる地。事実、彼らは故郷である海炭市/函館市へと戻るのかもしれない。しかしあえて具体的に名指されることなく、ここでは「あの場所」とのみ言い表される。あるいは「わたしたち」と言う人々もまた、その場所を明確に言い表すことができないのではないだろうか。名前以上に自らの想いが入り、または自らの想いそのものとなってしまった場所、「あの場所」。このとき、彼らの生きる物語は一気に幻想性を帯び、普遍性を伴う。極端な例でいえば、諸星大二郎の『生命の木』で叫ばれる言葉。「おら、ぱらいそさいぐだ!」向く先は違えど、その決意の強さ、そして極めて抽象的、幻想的である点は共通するものがある。あの場所、自らの過去、原点。そこへ向かったとして先はなく、静かにとどまるだけかもしれない。しかし、向かわねばならないとさえも感じさせるこの言葉。わたしたちは、いったいどのように在るのだろうか。

*1:加勢亮の隣に座っていたのは谷村美月ではなかった。小山燿という若い俳優