熱は冷める。

ひとたび熱が高潮し、くじかれ、その醜態が曝されたとき、立ち止まるだろう。
己が求めていたものはそこにはなく、ただ悪霊に取り憑かれていたのだ、と。
本当に求めるべきはそこにはない。


建設的に捉えれば、それもまた然るべき道程の一つだ。
しかし、「囚われていた」と気づくまでにどれだけの時間を費やしたことだろうか。



連綿と続く雑想の一つがただ私の見知らぬものだったからと言って、それが真だとは限らないだろうに。
目の前に現れたものが今までになく私に近しいものだったからと言って、それが運命だとは限らないだろうに。


たいてい、熱にうなされるときは、端々にあらわれる疑問をなおざりにしているものだ。
迷い続けるとき、時として出会うその「魅力的な」ものが真に求めていたものとして映る。


しかし、冷めていると言え順調に物事が進むわけではない。
やはり迷い続けるだけだ。また隘路の中を掻き分けて行くだけだ。


ではどうするのか……ここで精神論を持ち出してはいけないだろうか。「徹底的にやれ」、「根性で乗り切れ」と。