言葉の要らない、しかし言葉では捉えようのないもの。胸のむかつき、苛立ち、言葉にしようのないものはまたどこからきたのかも、どこへ行くのかも分らずそこにあることさえも告げずに「ある」。言述はおろか、知覚も認識さえもかなわないもの。それは己自身であるのか否かもわからない。しかし、それは私自身でしか知りようのないことで、奥底に仕舞いこまれた、益体もない感情が噴き上がってくるのか。少なくともそれは私と不可分のものであり、しかし「それ」とも名づけようのないもの。感情とも感覚とも違う。己自身を示すものらしいこと。光に照らされたとき、それはやにわに浮き上がる。薬を投与されたとき、それはくすんだ色をにじませている。押しとどめられたもの。より昔に消し去られ、これまでもこれからも私の語る言葉を乗っ取って何かを語らんとしている。浄化はされるのか。されないだろう。何か別の清いものにとって代わるべきでもない。奪われそうになれば、途端に別のものを使役して抗い、その存在を固持しつづける。「殺手」という作品によって浮かび上がった言葉は、主人公の母の呟きによって想起が始まる。「いったいどこで間違ってしまったのか」。間違った分岐点などない。そもそも分岐点などない。初めからそれはそれそのものだったのであり、間違いを正すとするなら、それはその者自身の生を問い直すべきであったのだ。しかし、自害で果たされることでもない。己の出自を認めること。己が浮薄を生まれにしていたこと。夢であったこと。歯噛みする歯もなく、ただ夢の中で牙を剥こうとすること。噛む先もない。それは行き場を失い、己自身となる。牙を抜かれた者は常に無力さに苛まれる。ただそこにあることだけを知りながら、そこに何の理も見出さないという偶然性の芥であること。それ自体が夢であるかもしれないということ。