独自の経験

『応答する呼びかけ』(湯浅博雄、2009)を読んでいる。疑問点がいくつか。
本書で引用される文章はとても興味深いものが多い。しかし、それに対する湯浅氏の言及に引っかかる。
たとえば、プルースト失われた時を求めて」より。記憶が何かのきっかけで不思議な感情とともに甦るのを、湯浅氏は“独自な経験”など表現して、論じている。



『スワン家の方へ』(p116-114)
「意志的な記憶、知性による記憶が過去について与えてくれる情報は過去のなにものも保存していない」
←意志、知性とは自分自身の明晰な意識をさすのか。実際に“独自な経験”が截然と分けられるものなのか不明。さかのぼって、プルーストの言っていることもよく分からない。


『花咲く乙女たちの陰に』(p65-70)
「こんな喜び、その対象がただ予感されただけにすぎぬ喜び、だから私が自分自身でしか創り出す以外ない喜び、それを私はごくまれにしか感じたことはなかったけれども、しかしそのたびごとに私はこう思われるのだった、それまでのあいだに起こったことはほとんど重要ではなく、ただこの喜びの現実にしっかりと自分を結びつけて初めて、私は真の生を開始できるのだ、と。」
←その“独自な経験”とやらにしがみつくことが、そんなに大切なのか。

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