天竺

突然胸をかきむしりたくなるような衝動にかられ、いったいそれが何だったのかを問うこともできず、焦燥感にも似たその体験は、時折眉間から胃袋の間を去来しては消えて行く。フォーカシング(Gendlin,E.T.)にも似たその思索行為は、私の嗜癖にもなっているようだ。俘泊を気取っていた時期、内部で起こる「何事か」を手繰り寄せては仔細に眺め、それがどこからやってきたのか両目を細めるか、片眼で眇めるかして見出そうとしていた。もちろん、決してそこには近づこうとせずに、だ。それは自分自身がもっとも気にしていることでもあったのだが、自分が今いる場所から一歩も動かずして全てを分かろうとする横着で惰弱な生き物であることは結局何を語るにしても、必ず語りの末尾にオチとして設けられることになっている。わが身を投射してしか何事も語ることはできないのだろうか。いや、そうではないと言いたい。何事かのために語り、それが我が口を悦ばすのではなく、何事かが先へ向かう糧となり得るようなものであれば、と願う。

「観念的だ」という言い草は揶揄として用いられるが、以前ここでも挙げた「ナマ感がない」という表現と同義であると思って構わない。なるほど「観念的」とは、まさに「我が口を悦ばす」ためだけに言葉を用いている様である。また、実際の経験やその経験に肉薄した描写のない語り口こそがこれにあたる。「評論家」を揶揄に用いるときも、これが含意されている。このような揶揄は私の記憶に永くとどまり続けている。私の語りは単なる虚栄心と痴愚の働きによるものでしかないこと、結局何も分かっておらず、何も語っていないのと同じであること、そして私は何者にもなりえないこと…。語ることを閉ざされれば、語ることに同一化した私という存在もまた否定されたように感じる。「何者かになる」ことを仮定された私は、それと同時に何者かになることをも否定される。思うことも、感じることも、「私」であることも無意味だとみなされる。

この桎梏から抜け出ようと、私は実際の体験を得ようと外に出たのではなかったろうか。しかし外に出たとしても、感覚する私が外に眼を向けていなければ、それは内に篭っているのと同じなのだ。“語っていることは、以前と変わっただろうか”。いや、聞かなくてもいい。私にとって「益体のないこと」とは語ることであり、語る私自身だからだ。私は語る人々を信じられず、しかし非常な羨望の念を抱いて見ている。
なぜ評論家たりえるのか。なぜ観念をものすることができ、あまつさえ評価されうるのか。

間章という人物がいた。彼の存在を知ったのは、4年前だったか。青山真治が監督を務めた『AA』が局所的に上映されており、タイミングを逸しては観られずにいた私は近くの図書館で『非時と廃墟そして鏡 間章ライナーノーツ[1972-1979]』 を借りて、読んだ。彼が実際に音楽活動をしていたと示すものは見当たらない。彼は執筆をとおして、フリージャズを考え続けていたようだ。どうしても私は、この、音楽を、演奏活動ではなく執筆を通して語るということが理解できていない。彼が類稀なる感性と知性をもっていたから、と誤魔化してみても詮無いことだ。彼は何を語っていたのか。そして何を語ろうとしていたのか。彼が感じて、見ていたものは何だったのか。この、近いように感じられてあまりにも遠い場所を思い、その場所が私の夢幻ではなく確かに存在したことを思うとき、この胸を焼き衝くような炎が奥で燻ぶり始めるのだ。その先へ。