花鏡一節

「〔劫之入〕用心之事」*1
住劫について話が及ぶ。これは「良い劫が停滞し、悪い劫に変質すること」と意味される。劫は功とも書かれ、ともに永い時間を指す。世阿弥は都優位に考えていたのだろう、鄙に居ることで住劫を成すと。しかし差別主義的とも言えない。都には何があるのか?「見物衆の気色」、すなわち周囲からの批判である。都にはあるが、鄙にはない。大学においても、地方にあれば研究者は少なく“刺激も少ない”。同じ分野の者が集まれば、相互批判が活性化される。これはおそらく、自身の差別観からではなく、都/鄙で得られるものが異なるといういわば「環境主義的」というものによる。しかし鄙でも黒川能のように非常な厚みを持った伝統もある。ある方はこれを“システム”と呼んでおり、とても納得がいった。また或る方は話を私事につなげ、きわめて明確な、誰にでも伝わる言葉を探そうとしている、しかし探すほどに自身の表現が稚拙になっていくと訴える。私もこの体験に近いものはある。彼の語る体験を、息苦しく感じた。彼は絶対的に明確な言葉という、一見あまりに明らかな目的を探すあまり、自身の持ちネタから離れられなくなっているのではないか。言葉は1と0の演算式ではない。より他の、例えばその分野の文法に肉薄し、憑依するがごとく理解に努めれば、おのずと最も適切な表現に至るのかもしれない。彼の、意識的であろうという強靭な意志は尊敬に値するが、しかし一旦それを抜け出て、他者なるものを見出さねばいけないのではないだろうか。その場では、いや今でもこれを端的に伝えるすべがなく、憮然として出ていく彼を黙って見ているしかなかった。おそらく世阿弥の訴えることもこれに近いのだろう。
末文には、こうある。

然れば、よきほどの上手も、年寄は古体になるとは、この劫也。人の目には見へて嫌ふ事を、我は、昔よりこのよき所を持ちてこそ名をも得たれ、と思つめて、そのまま、人の嫌ふ事も知らで、老の入舞をし損ずるなり。しかしながら、この劫也。よくよく用心すべし。

意識されるべきは都に居る己でもなく、都という環境でもなく、その環境にある自分に対する絶えざる批判的な視点なのである。そこに行き着く先はない。
この年になって、世阿弥の言葉に同感するとは思ってもいなかった。しかし、この場で参加者のめいめいの発言を拾い、一つ一つ理解していったところで、それはやはり劫となってしまうのである。己を知り、世にいわば脅かされ続けること。さらに異なる方法、文法を見出し、批判に晒すことをためらってはならない。すなわちこの場で言えば、敢えて飛躍し、更なるフィールドに切りこむことが、答えとなりうる可能性を持っている、のかもしれない。行き着く先などない。

*1:「此藝能を習學して、上手の名を取りて、毎年を送て、位の上るを、よき劫と申也。然れども、此劫は、住所によりて變るべき事あり。名望を得る事、都にて褒美を得ずはあるべからず。さやうの人も、在國して、田舎にては、都の風體を忘れじとする劫斗にて、〔結句〕、よき事をも忘れじ忘れじとする程に、少々と、よき風情の〔こく〕なる所を覺えねば、惡き劫になる也。これを、住劫と嫌ふなり。都にては、目きゝの中なれば、少しも主に覺えず住する所、やがて見物衆の氣色にも見え、又は、さんだん・褒貶にも耳を打たすれば、連々惡き所除きて、よき劫ばかりになれば、磨き立てられて、をのづから、玉を磨くがごとくなる劫の入也。都に住めば、よき中にあるによて、をのづから惡き事なし。少々と惡しき事の去るを、よき劫とす。よき劫の別に積もるにはあらず。只、返すがえす、心にも覺えず、よき劫の重して、惡(き)劫になる所を用心すべし。然れば、能程の上手も、年寄ば古體になるとは、この劫也。人の目には見へて嫌ふ事を、我は、昔より此よき所を持ちてこそ名をも得たれ、と思ひつめて、そのまゝ、人の嫌ふ事をも知らで、老の入舞をし損ずるなり。しかしながら、此劫也。能々用心すべし」(「花鏡」より抜出)