『七つまでは神のうち』

一部で、アイドル×ホラーをブームにさせようという策略があるようだ。


1年ほど前、『シロメ』が上映された。ももいろクローバーというアイドルユニットが主演だった。未見だが。
そして、今回は『七つまでは神のうち』。今回は日南響子飛鳥凛藤本七海。ユニットではなさそう。


というか、そういう流れだと気づくのが遅かった。若い世代を出演させる、ということは若い世代が足を運びやすくする、という目的にはそう遠くない(プリキュアに大きいおともだちが詰めかけたり、アイドルのコンサートに魔法使いたちが大挙はするのだけど、それはまた置いといて)。仮に若い世代ではなく、彼女たちのファンが足を運んだところで、そういった観客が望むのはスクリーンに映る彼女たちの姿でしかないだろう。
何を言いたいのか。つまり、人選にキャラ萌えを持ちこんだ時点で、内容なんてどうだってよくなってしまうような類の映画になってしまっているんじゃないか、という話だ。


結論から言ってしまった感があるが、やっぱり、実際に映画の内容はそう面白くもなかった。ホラーだから面白いわけがない、なんて小理屈は犬に食わせてしまえばいい。これは、面白くない部類の映画だ。「終わりよければすべてよし」の終わりがマズかった。どんなにミステリ的な要素で作りこもうとしても、最後がマズかったら全部お釈迦だと個人的には思っている。


そう、たしかに初めの作りこみはなかなかソソられるものではあった。遠くの山と近くの丘をほぼ同じ鮮明さで捉え、カメラはゆるやかに回りこんでゆき、空間がねじれていくような感覚に襲われる。子供がいなくなる、親にとっての異常な事態を予期するかのように、イヤな気分にさせられる。
そして次々と起こる失踪や人攫い、殺人などなど。脈絡もみせず事件を畳みかけるあたり、現代の暗部を示しているようにも思われるし、その一連で起きる女の子の劇中劇と廃校での妄想じみた体験や夢、しつこいくらいに繰り返される入れ子構造のエピソードは、話がより込み入ったものになり、「失踪」という問題・謎・暗部を象徴するかのようでもある。なんだか製作サイドの知的な一面が光る(笑)ようでもある。


しかし、だ。後半になって話は急速にしょうもない方向へ収束していく。登場人物の女の子たちは次々と死んでいくし、最後に残された子には序盤に失踪した少女の受けていた<いじめ>の<贖罪>、あるいは<復讐>というテーマを負わせて物語は終結する。


え、ふざけてんの?と目を疑ってしまった。神隠しという何やら深遠な不気味さをもった出来事は、いじめや贖罪というテーマにリンクするものだったの?そんなんじゃタイトルも浮かばれないよ。 (あるいは、「そんなのはどうでもよくて、かわいい女の子が火だるまになったり串刺しになるのがたまらん」とでも?そういう人には、いいご馳走でしたね。) あんな思わせぶりな宣伝をしておいて、この結末はあまりにも残念過ぎる。残念でもうガッカリで、もう後半から私、失禁するくらい緊張感がとけてしまっていました。
それこそ、部分を取れば面白いのだけど、これを人に勧めようとは思わない、そんな映画でした。出演女優が見たい人だけ行って下さいって感じ。