もろさ

人格基盤のもろさ、をよく思う。私の、ではなく、あえて「私たちの」だ。
対人関係におけるスキルと感情のかみあわなさは、この「もろさ」を浮き彫りにする。ほんの少しの言動が自らを落ち着かなくさせ、何気ない一言が相手や自分を動揺させるのであるならば、私たちは根本的に「スキル」と呼べるものとはかけ離れた存在でしかない、ということになる……。なぜ、「スキル」などということばが成立するのか考えてみれば、それは私たちにとって身に付かないものであるからに他ならない。この身に付かなさは、私を常にひどく動揺させ続けてきた。思わぬ反旗が身内で翻ったのだ。もし私が彼の意を汲まずに行動していた、のであれば。それに気付くとき、私は呵責に戸惑う。これまで友好的な態度で接することのできた関係が、いつのまにか反故になっていたのであれば。私は、ひとりで勝手に苦しむ。“どうすればよかったのか”と改めて実りのない問いを投げかける。
「あなたのためを思って」など、言えるわけがないのだ。自分ではない者のことを思ったところで何だと言うのか。それは本当に「あなた」そのものを十分に考慮し、将来的な効果も見越した上で行動出来ているなど、誰が言えると言うのか。
揺るがされることが、何よりも辛い。それによって、自分の見通しが効かなくなることも、相手を十分に斟酌できなくなるのも、辛い。