『金の靴 銀の魚』

先の思い出しに続き、市川ラクの『金の靴 銀の魚』より「フランス語だからわかんない」。軽妙で、面白くもある。コンビニ店員をしている女性のもとに美しきフランス人青年が現れ、言いよる。導かれるままに食事を共にし、パーティに出て、盗賊にさらわれ、助け出されて、ゴールイン。彼女は最後まで、どうだったの、と聞く友人に繰り返し答える。
「フランス語だからわかんなかった」。
面白い、だけでは済まされない気味の悪さを感じる。言葉を知らずとも、彼女はムードだけで、なんとなく、乗り切る。彼女の顔には最後まで、感情的に切迫したものはひとつも現れない。「なんだかわかんないけど・・・ステキだ」「なんだかわかんないけど・・・ピンチ?」「なんだかわかんないけど・・・結婚しました★」
私がおそろしく感じるのは、二人の間でまともに会話が成立していない、という点だ。フランス人青年は、日本人の彼女がフランス語をわかっていないことを分かってはいる。彼は、まるで人形のように彼女を愛でて、女性にとってのヒーローを演じる。彼女もまた、彼の想いをほとんどくみ取ることもなく、ロマンティックなヒロインの役を演じきる。この、表面だけで話が済んでしまう、という気持ち悪さ。
ただ一点だけ、彼女は彼に話しかける。盗賊に教えてもらった挨拶のしかた。'Bonjour'。縛りあげられて切羽詰まっているはずなのに、ボンジュールの一言を教えてもらうというこの図太さと滑稽さ。もはやこれは対話というよりも、彼女の呟きでしかない。
最後に到って、私は思った。「彼女は何も知ろうと思っていないのだ」と。またこうも思った。「知らなくてもなんとかなることくらい彼女はよく分かっている」と。
状況理解なんかしなくても、適応できるのだ。
言葉が根本的に疎通不可能なものだ、と言わんばかりのエピソードとして、私は捉えたのだった。滑稽でもあるが、気味が悪くて仕方なかった。