メモとか

○ 文章の書き方、ものの見方からだいたいの世代が想像できる、なんて言ったら調子こきやがってこのガキが、とか言われるんだろうか。往々にして、というか常に既に(はじめてつかった!)何の理由もない手前勝手な理解なのでなんとも言えんが。バーッと文章を書いてサイドバーのクラウドみたいに異なるサイズのフォントをバンバン使うのは、だいたい10年くらい前にネットにはまったあたりか。文法や改行に関心を払わなければ、結構上の世代だろうか。流行語の使用からもうかがい知れるだろう。どうでもいい話。


○ 村上靖彦という人物、学問分野で2人いるようでややこしい。
1937年生まれと1970年生まれ。前者は精神医学・統合失調症、後者は現象学?・自閉症。マルク・リシールって誰。酒井泰斗って誰。


○ 以前、祈りがどうたら言って先生に「あんな観念的なもの」と一蹴されたのは今でも忘れん。
それは前にバイト先で言われたことにも通じるし、結局実地にいないのにどうこう言っても糞の役にも立たねえ、っていう何かどうしようもなさの漂う、やや一般的な見方なのだ。「学者先生は好きなこと言ってりゃ金がもらえる」と……。んなんだってんだよ。まだ全然反論できませんよ。
これに加え、祈りをテーマにしてる時点で一般的な話をしてないとみなされているんだろう。これは最近やっと気付いた。遊びでも、語りでもなく、攻撃性とか発達とか、そんなことでもない。祈り。『重力と恩寵』書いたあの背の高い女の人を思い出す。極私的だということが問題の一部なのか?個人的に宗教団体は信用していません。
どの視点からも、「で、それが何の役に立つの?」って聞かれるんだろう。んなんだってんだ。