日記その昔

かつてまともにタイピングもできない頃、私はワードファイルに日記を記していた。青臭さが足りない知識を意固地になって厳選し、何処にも行けない昏さしかない言葉を書き続けていた。あれはどこかに行ってしまったが、それでよかったのだ。読むだけで酷い気分になっていた。自らの肉片が飛び散ったような言葉達。言葉に罪はないのに(ひどい言葉だ…)…。何かを書くということに今でも取りつかれ続け、読むに堪えうるものを意識したのが6,7年前だったか。しかしそんな技量も語彙も思考能力も持ち合わせていなかった私は、人に謗られるのを苦とし、人に見せるのを憚るようになった。自家中毒を起こすような言葉の書き連ね。今でもそうだろう。大方が読めない。しかしそれでも書き続けよう。射程は遠く広く、しかし自らにとっての言葉であり、言葉のためではない言葉を。ありあわせなど、意味どころか誤解と混乱の種であり、人はおろか、まず自分さえも欺いてしまう。まるで自分が賢いと思っているかのように自分に思い込ませるのだ……何という愚劣か。