寿命、死期

精神的影響を受けた人が亡くなる――ということが、得てして、その人よりも年若い者に「寿命」「死期」を意識させる。特に同性の者に向けられることが多いのだろうか。肉親でも、これは当てはまることだろう。28歳を迎え、カート・コバーンよりも長く生きた、と言った人がいた。彼にとってそれは衝撃的だったのだろう。俺は27歳で死ぬんだと思っていた、でもこうやって28歳を迎えてしまった。かねてよりニルヴァーナ、殊にカート・コバーンのファンであることを公言していた彼は、恐らく真剣に自らを27歳で区切っていたのだろう。自らが死ぬことを定める、とはどのようなものなのだろうか。悲愴な決意とも見える。世には熱狂的なファンで、有名アーティストの後を追って自殺する者もいる。ヒステリックに、そして彼の死がこの世の、「私の世界」の終わりであるように。しかし、彼の決意はそれと異なり、未来の予見とも似る。“俺も彼のように死ぬ”――これを耽美と言うだろうか、呪いと言うだろうか。死に方も定めず、しかし刻刻と年を重ねてゆくこと。その中で同時に、何かを一つずつ決断し、行動することを迫られて、日々を送りもする。そしてついに、彼は27歳を越え、28歳となる。
彼は「死期」の束縛から逃れたのだろうか。これからが彼の人生なのだろうか。二度目の生を、再びやり直すのだろうか。彼は、生を、徹底的に選択し続けていくのだろうか。