木々の客人

あのようであれ、このようであれ、どのようであったとしても門に到る者は少なく、糸くずを足元に散らせながらあるいはどうしても鳥の囀りに耳をそばだてることをやめることができずに樹木の枝にからめとられてしまう者たちのなんと多いことか。盛りとはいえぬまでもブナやシイの木々が身を寄せようと凍えていたのだ。やはり私は到る処に震えを感じずにはいられない。大気が静かに震えているのだ。いま、そこに立ちつくしているのは木々の影であった。地に這うのは私ではなく、6本足を備える裸の人々であった。目玉がこちらを不安げに、あるいは警戒心をあらわにチラチラとこちらを見ていた。一瞥も、二瞥も、何度もこちらを見ては、ただ暖かな場所を探していた。枯葉がうずたかく積もっているだけでは物足りず、彼らは土に潜ろうとする。寝床で眠るモグラの脇をすりぬけようとしては、彼らを起こし、食らわれてしまうのも気にすることなく、数えきれないほどの人々はそこらを忙しげに歩いている。彼らの生態は言うまでもなく虫たちのそれとほとんど変りなく、ただそれが人の形に極めて似ていること、そしてやや多めの脚を備えていることだけが彼らの特徴であると言いきってしまっても何ら差支えはない。モズが「私の子のために彼らを呼ぼう」と、クモが「客人を招くためには相応の準備と武器を携えぬことには話にならない」と。そう口々に言っていたのだ。ただ大きな目玉を眼窩に無造作に転がしながら、クモたちはどこか落ち着きがなかった。それは冬の、いつものことだった。
大きくそびえたった門に到ることのできる者たちは、ほとんどいなかった。ただ鳥たちの贄となり、多足虫たちの客となった。いずれまた春になると、彼らはどこからともなくその不安げな大きな2つの目と、6本の脚を器用に動かしながら、土の中から這い出てくるのだろう。地にあること、柴にまみれること、これらは安全であり危険に満ちた選択でしかない。それを感じながら、この林の中を歩いていくと、ときどき風が通り抜けるほどにかすかな呼び声が聞こえてくることもあるのだ。明日はヒワの客人に、昨日は水鳥の背の上に、うろの中には便所があった、持つのか行くのか、糸くずが教えてくれる、と。糸くずがいったい何だと言うのだ。