同じ皿の何が悪いか

自分のお料理日記を見ていて思うのがまず、皿がすべて同じだということだ。別に自分自身気にしていないのだが60がらみの小父様が右手でぼやいておられたことを思い出す。家内が毎度毎度の食事で同じ皿を使うたり、家族で別々の食器を使うというのだ。それがご当人にはいたく気に入らないらしい。それくらいのことは少し気を回せばできることではないのか、と私の左手にいるこれまた60がらみの小母様に言うておられる。小母様は女性ゆうたかてそんなんめんどくそうて気にしませんえ、と苦笑しながらいらえるのだが、男性は納得がいかぬようで、だってね家内は家の面倒を見るためにここにおるんでっせ、数少ないことに気が回らんでどうするのですかという。小生はこ奴何を言っておるのか、男尊女卑を当然と思うている年寄りはこれだからこまる、と一瞬目を剥く。しかし彼はこう続ける、家内は家の面倒を見るためにおるんでっせ、あんた家内がどういうて結婚したのか知ったはりますか、私が働かんでいいのんかって聞いたら、うんもう働きたくない言うたんです、それをねえ、自分の言うたことくらいやってもらわんと困りますわ。笑うに笑えん話である。男性優位ということが当然のようにまかり通る背景にはそれを当然のように受け入れた人々がいることに、小生とんと気づかなんだ。幸い主婦を現役でやっておられる左手の女性はもっと現実的に見ているようで、女性だってめんどくさい思うことありますやん、なあと私に同意を求めてくる。うーんそうですねえ、と曖昧な返事で流すもやはり実際のところ暗黙の了解と個人個人の思いは微妙にすれ違いながらこの世の中で何とか一緒に回っているのだということを痛感したのであった。考えてみれば小生は結婚なぞ露ほども考えられぬような立場に立っておるので、そんなもの屁とも思わんのだが、そんなことで不平不満と言うておられる御仁をみると何とも言えぬ複雑な気分が、イワシの煮付けられた匂いとともに湧きあがってくるのだった。