高潔を自慢するなバカ。

最近節制にこだわっている。貧乏者の遠吠えと断ずるなかれ、これはわが挑戦なのである・・・なんてバカなこと言っているとだんだん狂気じみてくるので初めは言わないでおこう。ともかく、素食、粗食いずれを示すのか分からないが体に張り付いたクソ豚の明石、タコの何とかではなく、証である皮下脂肪を駆逐すべくここ半年可能な限り一日二食3リットル以上の水摂取、肉を避けるという暴挙にはたらき遂に去る7月原因不明の目眩を起こして倒れ病院へ駆けつけた時にはなんと当初より9キロ減という快挙であったことが判明したのである。諸兄諸姉、体の調子はすこぶるよい。腹の肉は落ちて腹筋が普通に浮き上がらんとする我の糞意地に呆れよ。ともかく、そんな自慢はこれくらいにして今夜も根菜だらけの煮物大会を開くことと相成ったのであるが、煮物はバージンであるが故に粉末出汁をはじめに入れるのを忘れたり、野菜の順番を待ちきれずに大根の5分後にサツマイモとゴボウをドドッと入れたり――たぶん入れる順番さえ間違っているような気がするが――、少量の水ゆえに干上がってしまうのを恐れて水を足し足ししたりとなんでもありのトンデモ料理は意外に結果としてうまかったのである。ああちがう、こんな料理日記でもないのだ。今夜我が言いたきことは、食事のときに脳裏をよぎったことについてなのである。諸兄、ここまで付いてこられているであろうか。このような駄文を読まされる諸兄に同情せざるを得ないがこれが人格破綻者の末路なのである。南無。

さあ本題に入ろう。今日は朝8時半の食事を取って以来優に12時間固形物を口にせず、ひたすらコーヒーとタバコだけで過ごしていたものだから、カフェインにあまり耐性のない我が軀はフルフルと震え、呼吸が浅くなっておった。まあ当然イライラする。しかしこの結果はわが招いたことであり、むしろこんな苦行に耐えている自分の高尚を自賛せんとするキモイ傾向にあった。それは煮物を作っている間にピークに達し、自炊しない奴の愚かさを内心なじるようになり、何とも狭小な魂がうごめいていたのであったのだが、食事中にそのようなことを考えている己に気づいた瞬間、これがストイシズムの驕りであるのか、とはたと気づいた。にわか禁欲主義者は己の苦しみを高尚なものとして代置し、己のごとき禁欲を行っていない者に対していわれのない優越感を持つ。そして自分の心身の苦しみ、それへの反抗と恨みはどうなるかというと周りの人間に向けられ、それは相手に投影されて己に対して敵意が向けられているような錯覚を覚える。そうすると、さらに彼奴は怯える。しかし禁欲主義を貫くような奇特者のことであるからそれ以上に敵愾心を燃やすのである。その異常な対抗心は現実の人間に向けられ、そういった周りの人間は迷惑被る。この異常なサイクルはもはや禁欲主義者のそれではないと言っておこう。それは単なる狂信者の吠え声でしかない。正義を標榜する者のヒステリーも同様である。自分のアイデンティティをそこに求めるという愚劣極まりない行動とそんなことでしか安定できない不安定な自己によって、人に対して優越感や敵愾心を持つということは愚か/疎かの極みであると言っておこう。自分の高潔さを誇りにする人間には注意せねばならぬ。ストイシズムや正義などというものは、煎じつめれば理想主義の副産にしか過ぎないということを十分に認識せねばならない。己を追い詰めるような者にはこう言っておこう。人のケツの汚れをガイガイ言う前に、自分のクソまみれの襁褓(おむつ)を何とかしろ、と。臭うんだよ。それでいっぱしの人格者気取っているのが気に入らない…言葉を換えれば色々気が狂ったことを言えるが、もっと端的にいうと孤高ぶるな、とそういうことである。