父の声・幼少期・そして草葉の蔭

今週のお題「父との思い出」


 必然的に社会から放逐された。私は、大暑に揺れる草むらから父の声が聞こえるように感じた。温かく、甘く、しかし太い男の声は私の名を呼び、優しく包んで呉れるかのような、幼児期の記憶を呼び起こす。怒りの人であった母親に対し、私は父に安息の地を求めていた。
 中学のときに実家を離れ、田舎から市内の寮に移った。母と父はすでに離婚していた。高校からは、市内に稼ぎに出た母親のもと、養護施設にともに住まうことになった。親権相続に関する騒動、末弟はその渦中にあった。父は若いころから健康状態も悪かった。健康でも変わらなかっただろうが、父は相当に取り乱した。養護施設に車を乗り付け、末弟をつれて乗り回した。園長をはじめ職員が夜中に外へ飛び出す。母は体面と憎悪のはざまで、赤黒い顔に青筋を浮かばせていた。そして数年後、悶着が落ち着いてきたときに、父は病院へ自主的に向かった。これまでにない体調不良で、間もなく集中治療室へ運ばれた。母は臨終を伝えられた時、カーテン越しから「ヒィッ」と声をあげて泣いた。昇圧剤を誤って過剰に投与された父の死に顔は、茶色から黄土色に変ってゆく。父の額に手をあて、死を弔ったように見せた。火葬場から出た初秋の陽光に、突然、それまで溢れることのなかった涙が流れ落ちる。手の届かないところへ行ってしまった父。人の死は儚く、世は変わらず美しい。涙は二日止まることはなかった。19の頃だった。何になることも予期されてはいなかった。
 父はあれから美化され続けている。手の届かない、眼前の幻が私に呼びかける。私の名を、呼ぶ。夏の日ざしが蜃気楼を呼ぶ。私は父に焦がれる。自分の全てを溶かしこみたいという憧憬と欲望の混迷は、かなうことのないアニマの声をうねり続かせる。しかし私が父になる、ということはもはや、到底思い致されることもない。父が私を呼んだように、私も我が子を呼ぶことができるだろうか。決して、あってはならない。私自身が望まれてはならない価値なき命だということ、これを忘れてはならない。劣等な遺伝子を残すわけにはいかない。しかし、私は父に呼ばれる。私は子を呼ぶことは、ないのに。