混とこ沌

「表層にしか目を向けず、内奥に関心を持たない者は嫌いだ」
「つまりね、この“か”には複数の意味を持たせているんですよ。『○○化』のように特定概念の現象化、疑問の助詞としての機能、また現代仮名遣いにおける2行1段もしくは6番目の音韻的可能性・・・」
または本音と建前、インサイダー取引、バナナの皮と果実の関係。表層と深層の関係は我々の精神的生活に少なからず影響を与え、常日頃混迷の中心で浮沈を繰り返している。アーキテクトにおいても単調なフレーズの繰り返しを具体化したミニマリズムは従来の単純な二項対立関係の脱出を図り、あるものは開かれた意味を含め、あるものは自然と文明の融合を目指した。常にお互いを反証しあい、止揚されつつも、質的に異なる二項対立に陥る・・・これは完全な陥穽である。2という数字が半ば妄念のようについて回るのは、人間の基本的な思考がまずこれによって成り立っているからであり、どんなに知性が発達したとしても、根本的な能力から大した差異をつけることは不可能だからである。開かれた意味とやらもそうだ。表の裏には裏があり、裏の裏には表がある。反対側、という概念を脱しきることはできない。だからと言って、我々は2という概念を忘れるという無責任を許されてはいない。既存の“対立”という語は、質的に異なる二者を数少ない理解可能なポイントでまとめ上げているに過ぎない。すなわち可視的/不可視的という風にも捉えられよう。あらゆる人為的な(非人為の言語などありえようか)概念は人間の所与の特性によって縛られている。もしこの『対立』から脱却を図るのならば、まず人として賜ったものから抜け出せばよかろう。自と他、可視と不可視、全て忘れて闇、混沌の中へ。潜行、俯瞰。