痴らしむる者

自分の経験がもとであれ、さもそれが真実であるかのように得々と人に語りたくなどない。そこには浅ましさしかない。己という人物が年を経ることによって賢者になっていると思いこんでいるのである。愚かである。私の周りの年長者にもそのような人間は山ほどいた。俺はお前よりも年を取っている、だからお前は俺のいうことを有り難がって頂戴すべきだ、と当然だと言わんばかりの顔をして語るのだ。そこまで思っていないかもしれないにしても、有無を言わせぬような口調の者、無邪気な顔をして自分の無知無羞を曝け出す者は山ほどいた。私は納得いかぬことがあっても黙っていたが、しかし感情の揺れは簡単に顔に出る。それを見て相手は苛立つ。俺の言うことは真実なのだ、もしくは人の指摘は全て甘んじて受け入れろ、と。許し難い、その人ならずともそこに滲みだす愚劣があまりにも許し難い。
「年を取って分かってきたんだけど…」と、そう私が口走った瞬間、脳裏に苦味が走った。自分が愚劣の後追いをしていることに気づいた。相手が納得するかのように相槌を打てば打つほど、自分の愚かさが露わになるように感じた。しかし、私の口は止まらない。「年を取ってみれば分かるよ」。どうしてそのようなことがお前に言えるのか。人は人だ。己の変化など、相手の生き様に何の関わりがあろうか。少しくとも相手を尊重する腹積もりがあるのなら、頼まれてもいないのに相手に教えを垂れることなど決してないはずだ。喉を縦に切り裂いてやりたい。愚者ほど、己の浅はかな知をひけらかす。人はこれを老害という。