独善性について。

憎しみを込めて思い出そう。
彼らは、自分たちが共同体だと臆面もなく言ってのけた。俺たちは仲間だ。だから共に悩みや苦しみ、そして喜びを分かち合おう。しかし同時にこうも言う。俺たちは仲間なんだから、秘密事はなしだ。お前は昨日何していた、飲み会になぜ参加しなかった。お前の性遍歴を教えろ。俺たちは仲間なんだから、隠し事は無しだ。包み隠さず教えろ。最近どうだ。そういえばお前は最近調子が出ないな。そういえばお前はこの頃まじめにやっていない素振りがあった。お前はいつもそうだ。まじめに物事に取り組まないのは、人間としてまともではない。お前が人間として弱いのは、お前が俺たち仲間に入らないのが一番の原因だ。そうでなければ、お前はもうこの場にいなくてもいい。俺たちは仲間だ、俺たちを仲間だと思わないのなら、お前はここに居る価値もない。死ぬしかない。
彼らに近づけばさらにこう言う。なんて浅はかな考えだ。お前はいつもそうだ。お前の考えていることなんてお見通しなんだよ。だからお前は愚図だと言われるんだ。で、最近どうなんだ。彼女はできたのか。性遍歴を教えろ。先輩はあんなことやこんなこともも教えてくれた。お前が教えないという権利はない。あの先輩についていけば間違いはない。お前が意固地になっているのは分かる。だがそうやって意固地になっていても、無駄な頑固さがお前を孤立させるだろう。お前の考えていることは何でも分かる。本当にお前は阿呆だな。いつまでたっても阿呆だ。これから俺たちは先輩として威厳ある態度を後輩に示していかなくてはならない。俺たちには権威が必要なんだ。それがなんだお前の態度は。だから後輩に舐められるんだ。お前はもっと責任ある行動をとれ。それは人として、一番大切なことなんだ。


なんという愚物。こうやって愚物は再生産される。己の頭で考えようとせず、何事にも踏襲と迎合を、権威主義的な振る舞いを守っていれば万事がうまくいくと思っている。誰でもそのようにできていると思っている。彼らが本当に憎いと思った。この場からすぐにでも立ち去りたいと思った。しかし、当時の私には対抗するだけのまっとうな力が備わっていない、と思い、どこにも行くことができなかった。苦汁をなめるのは、それは私の能力が足りないせいだからだ。彼らに対抗できないのならば、このままずっと苦しめばいい、と思わざるを得なかった。しかし、今になっても彼らのあの不遜で独断的で権威主義的で他者配慮に欠けた言動を思い出すと、めまいがするほどに感情が高ぶる。彼らはそろそろと子をなしてゆく。彼らは言うだろう。「子供はいいぞ。やさしくなれる。」その類の話を聞くと、いつも思う。なぜその「やさしさ」とやらをもっと前に涵養しようとしなかったのか。子供ができれば、それですべてが解決するのか。子孫を残してゆくことが自分の務めだ、と彼らはいずれ言うだろう。しかし、それは極めて体験にしか基づかない言動であることに気づいていない。仮に気づいていたとしても、それが必ずしも適切な答えなどではない、ということにはつゆ思い至ることはないだろう。彼らがかりに「やさしく」なれたとしても、彼らの子はやはり同じ道を歩むだろう。もし歩まなければ、彼らはやはり経験主義的に自論を、哲学を、臆面もなくひるがえして自らの正義を振りかざすことだろう。