目配せ

普遍的な人物像にまで云々。あるいは想像力の問題。
本を読む者がその理解にあたって現実のあれこれと関連付けようとすることをナボコフはこき下ろす。しかし、また別の場所で聞いた、普遍的な人物像を描出するのなんのと誰かが言う。たとえば、先の『桐島、部活やめるってよ』にせよ、『バルタザールの遍歴』でバルタザールの描いた女性にせよ。ではこれらをやってみよ、というとき、どこかで(そんなことは遠い昔から誰かがやってきてることだよ。馬鹿な真似はやめろ)と囁く声がする。そう、ここで感じていたのは、人が何かしら偉業に憧れて、その真似をしくさろうとするその愚物ぶりだったのかもしれない。この件については、どこまで遠くへ離れようとも、名声を表なり裏なりいずれの面から捉えようとも、すべて同じ結果に陥ってしまう。そっぽを向いて、愚物に陥る者を鼻でせせら笑うお前も同類だ。嫌味ったらしく釘を刺す奴なんて、それよりもタチが悪い。つべこべ言わず、人への目配せだってどうでもいいから少しぐらい自分一人で何とかしてみろってんだ。人に評価されるのがそんなに大事か。