車谷氏のお悩み相談について

車谷長吉は「悩みのるつぼ」という、投稿者の相談事に答えるというコラムを記していたようだ。
彼の口調に惚れ込んだ人は絶賛し続けるが、一方で、次第に「読む価値もない。同じことばかり書いている」と見放してゆく人もいるようだ。いかようなものか、私は知らない。何せそれほど彼の文章を読んでいるわけではない。数冊の文庫本を除いて。彼の文章を魅惑的だとか、愛読していると表現することに抵抗がある、と以前言った気もするが、今でもそれは変わらない。ただ彼の文章は身にこたえる。腹にこたえる。脳髄がしびれたように重くなる。それは快楽とは違うし、自虐に悦ぶ倒錯野郎か、それともインテリ気取りのやることに過ぎないのかもしれない。
この場合、彼は「同じ」作業を続けている。しかもそれは自分自身にとっての作業というよりも、人との「対話」的作業である。人との語らいの中で、自家薬籠から抜け出し、新たな視点を得る機会もあろう。しかしその逆で、他者とのかかわりが、自らの言葉を痩せ細らせることもあるのではないか。人との語らいが定期的な仕事になってしまっているのであれば、いかにそれが自発的なものであれ、強いられた状況は自らを飼い馴らさざるを得ない。たとえ自ら考えることをそのたびに伝えたとしても、おそらく質問者は回答者の中でいつしか分類され、応える自らの言葉さえも分類し始める。自らの応えが一辺倒になってしまうのに気付くのだろう。これは私見でしかないのだが。