exposure,critics

批評。外からの目。自らが何かを発することに対する社会的反応を抜きにしておけないという感覚。自意識過剰とも言う。
とくに不特定多数からの視点を想定せざるを得ない環境で言葉を発するとき、それは独り言にはなりえない。言葉のカタチは聞きとられる。意味不明とされることはあっても、聴きとられないことはない。もちろん可能性のレベルではある。常に人の目に晒されている、という感覚。私の思考が周りに筒抜けだというのは妄想と呼ばれるし、『サトラレ』のネタでもあったが。全ての声がより均等に発せられ、より均等に聞き届けられるようになってきたとき、自らもその場に置かれていることは忘れられることがない。あらわであるという感覚。そして、実際に一人だからさびしいのではなく、周りに人がいるからさびしいという感覚。環境の捉えられ方自体が変化しているのだろうか。開かれすぎた「社会」で、人は個人的感覚を保つことができるのだろうか。しかし、これを、この行く先や来し方を価値的判断とからめて考察しても、やはり仕方のないことなのだ。考察は恣意に落ちる。つねにあらわにされているという感覚。つねにあらわにされねばならないという感覚。構造をとらえることだけ...