milieu, the depth

幸福な時間を!と願う。そう願ったとき、頭の中はだいたいいつも決まっている。本、マンガ、映画。
口元を片側だけ引き上げて「庶民的だね」と言われ、6年前は何も言い返すこともできなかった。今ではどうだろう。言い返せるかどうか、そんな問題ではないことはもう分かっている。彼の底意など気にもせず、平気な顔でいられるのが何よりも必要だったのだ。しかし、そうあろう、と思った時から、いや、もっと前から、脇道を脇道と分かって歩き始めたころから、私の道行きはそんな純粋なものに成り得るはずもなかったのだ。
道とやらを自分ではない人間にどれほど言い含められようとも、戻ることのできない程に。
そう願って、それはいつの間にか、けもの道にも似て、ただそれをけもの道だと思っている私は、人の目を逃れることはついにできなかった。それでも、自らの自己完結した幸福な時間を!と願う。これは何だろうか。ユートピア願望だろうか。サンクチュアリを創ろうとしているのだろうか。“人の目に依存することのない、より深いその先へ”。社会との距離を測っている私では、矛盾を抜けられもせず、いわば中途半端にあちらへこちらへ迷い歩くのだろうか。