視覚を鎖す

視覚について、一日を振り返る。視覚を鎖して行動する際、朝まだき時には夢が混入しやすくなる。このとき注意せねばならないのは、視覚が使えないからといって他の身体感覚に行動の決定権を委ねてはならないということだ。身体の動きとはそもそも粗雑なものであり、この影響はあまりにも大きい。それに“視覚を用いない”とは外の世界を視覚で捉えないということである。この表現は多義的である。一つに視覚以外の身体感覚で外の世界を捉えようとすること、そして一つに視覚をいわゆる「内面」へ向けるということ。前景を身体感覚ではなく、「内面」の揺れ動きに充てるのである。固定した概念・用語を用いず、その状態が描き記す二次的な言語を拾うようにして委ねる。身体感覚から呼び起こされる内面の揺らぎもまた注意すべきである。