報告資料に関して数点

近々報告資料をまとめなければいけないのだけど、これに先立って思いつくものを記しておこう。
まず、念頭に置いておきたいことの一つは、孫子の兵法は「兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久を睹(み)ざるなり」の言からか。

孫子曰わく、
 凡そ用兵の法は、馳車千駟・革車千乗・帯甲十万、千里にして糧を饋(おく)るときは、則ち内外の費・賓客の用・膠漆の材・車甲の奉、日に千金を費やして、然る後に十万の師挙がる。
 其の戦いを用(おこ)なうや久しければ則ち兵を鈍(つか)らせ鋭を挫く。城を攻むれば則ち力屈(つ)き、久しく師を暴(さら)さば則ち国用足らず。
 それ兵を鈍らせ鋭を挫き、力を屈くし貨を殫(つ)くすときは、則ち諸侯其の弊に乗じて起こる。智者ありと雖も、その後を善くすること能わず。
 故に兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久を睹(み)ざるなり。それ兵久しくして国の利する者は、未だこれ有らざるなり。故に尽く用兵の害を知らざる者ば、則ち尽く用兵の利をも知ること能わざるなり。

まずくていいから早くやれ、という話だ。

実際に行うのは、アウトライン、素描を作っておくこと。ざっと作ればあとで手直しはいくらでもできる。


二つ目に、自身の属する場がいかなる規則に基づいているか、個々人は何をどの程度意識しているのか、あるいは意識すべきなのか。これをつかんでおくこと。勘違いして関係のないことを論じてもならないし、逆に重箱の隅を突つくような真似をしても無意味である。


三つ目に、ギリギリまで開かれた形式を保っておくこと。中途段階ではいかなる批判も受け入れられるように、極めて柔軟な態度を取ること。まるでナマコのように、あるいは何処からでも口になるように。問題を問題をして受け入れようとすること。結論付けるのは、小知恵が働く奴なら誰だってできる。そんなことは本当に最後でいいのだ。そんなものを後回しにしてでも、必要なことはある。