作業の方法

8/11-15の古本市。数多の本を眺めていれば、おのずと鎮まるものもある。
諸氏が各々異なる言を提げ、名も知れぬ者も名の知れた者もここに、同じようにして居並んでいる。多くの客が集う。それぞれに本を物色し、仕入れていく。私もその中に入り、折々に目に触れる本を手に取り、買ってゆく。
帰路、はたと思いだしたのだった。理論と実践は何らかの形で架橋されうるものなのではないか、と。科学者-実践者モデルとやらが提唱されるまでもなく、なんらかの形で二者は相互に往還するのではないか。その方法は、やはり何を言うまでもなく何度となく試されてきただろう。それでもある分野ではその成果が十分に見られないのは、分離されているということ自体が人文において宿痾であるからなのか。時代的な要因もあろうが、ここに精力を注ぎ込む余地はあるだろう。ただ、「何かをしとげてやろう」という類のものではないようにも思われる。これは自らの姿が形に残されぬような、献身のようなものなのではないか。
同時に「何をするか」を見定めることはできずにいるものの、「どのようにするか」は見通せるようになったようでもあった。諸氏の言葉を均し、織り込み、整除する。そこに自らのオリジナルめいたものなど不要である。どこまでも自明とされてきた行為の結果を、同様に行う。淘汰であれ、繁栄であれ、あるいは反映でしかなくとも、草莽を均す作業も悪くなかろう。
じじつそれは、私の復讐なのかもしれない。自らの言葉に責任を持たない者への、体の良い私刑のつもりかもしれない。二度と自らが吐いた唾を呑みこませないように。あるいは呑み込むその様を写し取るために。そう、たとえば今とばかりに踊り狂う者、いずれ崩れ落ちる将来であったとしてもその姿を束の間の姿として掘り刻み、あるいは多くの言葉にかき消されようとする弱弱しい声をその場において漏らさず汲み取るという作業である。権力への意志と誰が言ったのだろうか、そこに見出されるような時代の徒花も凋落も関わりなく掻き集めて一つの地図を、構図を、装置を作ろうとするのも悪くあるまい。