腹立ちまみれ

ヘルマン・ヘッセの「デミアン」を若いころに読んでいた、と言う方のamazonのリスト。「書評によって自伝を書く」というアイデアは少なからず誰かが考えることだろう…。それはまるで、形にならない自身の姿を、行為や行為の対象によって物語り、モザイクのように描き出す行為として私には映る。
その人は“狂気に陥りそうになった”と端々で書いているのだが……その人の言う狂気とは?若者の言う限界とは?
これまでに、自分自身が繰り返し考え続けてきたことを、これまで多くの人々が繰り返してきたことだと思い至るのに、私はひどく抵抗を感じる。「昔、私も若かった」という冒頭のくだりから始まり、こうやって私は大人になっていったという説明にもならないような説明を読むと、まるで自分もこのように無自覚な部分を置き去りにして年老いていくのか、と暗澹とした気分になる。

え、狂気がなんだって?「狂気に陥りそうになった」って何?
まるで「あのとき私は忙しくて、仕事が大切だから、2時間しか眠る暇がなかったんだ。それが毎日だよ」と、自嘲どころか自慢気味に言ってるのとおんなじにしか聞こえないんだよ。そしてあなたはこう言う。「これが人生さ」と。いい加減にしろ。

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と、腹立ちまみれで書いた。あらためてamazon掲載の紹介文を読んでみても、どうも上記の自分の文章が八つ当たりというか、妄想引き起こしているのか、はたまた人格に障害をきたしているのか。たまにこういうことがある。どう考えても、それってただの八つ当たりだろ的な怒り方。誰に怒っているのか、何に怒っているのか・・・。