足取り、

どうしようもない愚物。それが自分自身の原動力で、負い目で、苦しみ。
このことについては何度も、それこそ飽き飽きするほど書きつけてきた。それでも、分からないことだらけで、そしてまたどこにも辿りつくことのできないことに酷い幻滅を自身に感じることになる。自分が秀でていないこと、たったそれだけのことに、私は苦しんできた。本当に、思い上がりもはなはだしい。自分が神にでもなったつもりか。一体、何様のつもりか。そう、これは誇大妄想から離れることのできない、どうしようもない愚物の話。だが、幻想だけで生きていくこともできず、現実を突きつけられる。「おまえは大したことのない単なる人間だ、誰とも変わることのない、平凡な人間だ」幻滅と、失望。あきらめ。脱力。そして、あきらめることができずに、性懲りもなく、同じことを繰り返す。そう、「どうやったら神になれる?」だ。本気だ。父は「孤高の人」と揶揄されてきた。夢想家はそうなる。そうならぬよう、繰り返してきた。賽の河原の石積みを。だが、いつの間にか背丈以上のものができているだろう、と思っていたのに、はたして見てみれば、自分の背丈よりも低い申し訳なさそうな石の塔が建っているだけだ。あるいはスパイラルのようなもの、円の道のようなもの。上へ昇るスパイラルがあると思って、同じ道をぐるぐると、平面上にしか動き続けていなかったということ。先行きが分からなくなる。このような作業を、これから生きている限り続けていなければならないと思うと、とても正気を保っていられない。しかし足元には、不完全で未完成のおもちゃが。