鶏か畜生か

何かを自分の言葉で言い表すときに、それが公のものであればなおのこと、先に記された厖大な量の文章群を我々は読まねばならない。それを当然と心得ている人は敢えてそれを口にすることも無く、ただ己の為すべきこととして粛々と行うことだろう。私もそうあるべきなのである。彼らと同じ道を歩むからには。しかしあろうことか、私は不真面目なのである。暇さえあればマンガを読んでいる。マンガを心の滋養と信じて疑わず、黙々と夜になってはマンガを読みふける。滋養も取りすぎては体の毒である。時間はつぶれる、マンガが頭から離れなくなる、そして何よりもマンガを逃げ場にしてしまう。彼らはどうだろうか。私のようにマンガを読んだりして時間を潰しているのだろうか。恐らく答えは否である。彼らは暇さえあれば本を読んでいる。文献を紐解こうと営々としている。私は彼らに、愚かにも聞いたものだ。マンガ読まないの?と。いやあ読まないな、読む習慣が無いんだよ。言いやがった。信じられないだろうがそれが事実なのである。彼らはほんとうにマンガなど興味が無いのだ。この畜生めらが!と言い放ちたいのをぐっと堪え、なるほど、と私はさもしたり顔で彼らの返答に頷く。本来はマンガではなく、粛々と為すべきことを為さねばならぬはずなのだが、私はマンガを読むことに余念が無い。さて、私もそろそろほんとうに時間がなくなってきたのだ。マンガなど――「など」と言わねばならぬのが非常に心苦しく不本意極まりないが――よまず、私も書物に手をつけねばならない。しかし、私ときたらあきらめているのだ。この糞の塊のような頭に希望の差し水さえもくれてやることもない。はなからあきらめているのだろうか。まったく今夜も自分が何を書こうと思っていたのかさえも忘れてしまった。鶏め。