独語

実証されねば人知の全体的な合意に到ることはないというのか。実証、という言葉は、誰にでも理論的に具体的証拠によって理解されうるようにする行為とでも名付けようか。それならば実証は合意への道ではあるが、少なくとも実証=統計的手法という関係は当然の顔をしてやってくる。そこに質的研究に信頼を置こうとする人々は反発する。人々の生きた語り、それこそが実証ではないか、と。実証主義者はおそらく統計的理解が最も一般性を持ちうるものだと考えているであろうのに対し、質的研究者の反発はこの占有感に対するものだ。利権の奪い合いでは意味がない。数値化することで生きた言葉が失われるという考えは、あまりに感情的に過ぎる。ではどこに力点を置くのか。
もう死にたい…