「PSYREN」と『インディゴエレジィ』

手元にあったマンガを読んでみる。
PSYREN岩代俊明のジャンプ掲載作品。「みえるひと」も良かったがあえなく打ち切り。今回の作品は、単純な目指せ最強系で世界観がガンガン崩壊していくか、あるいは初めッからお色気路線でカオスな悪い意味でのナンセンスを突っ切るジャンプ作品の中で最も安定した世界観を持ち、うまい具合に長く息が続きそうな期待大の逸品。
異能キャラが出る。PSIとは彼らの持つサイコキネシス系の能力だが、自分の内側にあるパワーが原料だという前提を十分に生かしているからか、具現化タイプが多い。ここまで書いて、HUNTER×HUNTERも同じようなものかとは思うがまあソレは置いといて。具現化・・・何を具現化するのか。自身のイメージだ。それが自信を取り巻く外世界に影響を及ぼすというのは、もはやロマンですらある。如何にそれを使うか、道徳的な話だとさすがジャンプは外さない。みんなのため、そして自分の夢のため!単純な善悪構図になってないからこそ、そして、そんな人間のちまちましたことに揺らされるような代物ではない大きな軸をもっているからこそ、逆に作品の魅力は増していくのかもしれない。
さて、「インディゴエレジィ」。古屋兎丸の短編集「ハピネス」の一編。他の短編は何度読んだのか、もう1コマ2コマ見ただけで全部思い出してしまう。しかし、「インディゴ〜」だけはラストを完全に間違えて覚えていた。強い幻想を見る少年とその幻想を絵にする少年。絵を描く少年はその幻想世界が自分のものではないことを痛感している。しかし具体化することのできる彼が必然的に表立ってしまう。風変りな美女に見染められ、彼女の裸身を描くときに彼は秘密を明かす。彼女は幻滅、彼は彼女から離れる。そして彼は幻視する少年の元へ戻る。良い作品だ。幻視する少年は、一人で廃人になっていくものだとずっと思っていたがそれは別の作品だったらしい。いったいどの作品だったか。
ともかくイメージの具体化、それは恐らく一つの課題。自身の中にあるものを表現することは、現実世界でも夢見る青春が最も口走りやすいことの一つだ。いかに表現するか。それはいつの間にか押し込められていないか、ごまかされていないか。隠されたイメージは鬱積し、定常状態を破る異質なエネルギーへと変わる。だからこそよく伝える方途を探す必要がある。それは扉を見つけること、そして『扉を開く』こと。多層な次元からなる世界のとば口を見つけること。いかに開け、使うか。ただ、それだけのこと。考えていたことはそれだけ。