諦めって“明らめ”かもね

知性で勝負しようとするのはもう止めにしないか。行きつく先はないんだよ。もっとすごい言語感覚もって多彩な才能を花開かせている人は山ほどいるんだよ。それに立ち向かうってあんた、ドンキホーテにもなりやしない。劣等感ってもとはinferior complexなんだって?複合してるんだって。そりゃ見えるもんも見えなくなるに決まってるさね。やりたいことをやればいいんだ、とはつい先日言った言葉だけど、もう少し人の目を気にしたり周りと自分を比べるのをやめたらどんなに楽になることか。君は君で一個の無能だということをいい加減認める時期に来たのかもしれない。できることをやりなさい、願わくばやりたいこともできますように。
もうちょっと言うと、その劣等感で曇った眼に映る才能のカタマリたち―例えば川上未映子とか北山修とか―、彼らをみてどう思うか?うらやましいなあ、あんな人になりたいなあ、ってそれは小学生レベルのたわごとです。結局何も求めていないのと同じだ。結果や表層ばかりを見てその実、より深みを全く見ようとしていない。みんなの人気者になりたいんだ!ってもういい大人が言う言葉ではありませんよ。思ってもグッと呑み込みなさい。よしんば思ったとして、それは自分の向かう先の見えていない人間だということを証明しているのと同じなんです。ありていに言ってしまうとそれはアイデンティティの未発達。何がしたいんですか?…では今何ができるんですか?それを自問するとぐっと詰まって、人に問われると一瞬で自分の殻に閉じこもってうまいこと言い逃れしようとしやがる。だーかーら、好きなことやればいいんだって。え、自分のやっていることにも自信がないの、もしかして?だから長続きしないんだね、何事も。ああもううっとうしい、人の目なんてどうでもいいじゃない。勝手に生きろ。……もう何だかイヤになってくる。思春期真っ盛りの少年の青臭い悩みなんて、もういいんですよ。アドバイスしたって自分で得るものは本当に限られているわけでしょ?耳なんて付いているだけで飾りです。実は別の所に本当の「聞こえる」穴があるんです。ちゃんとそこを掃除してください。そこが少しでも聞こえが良くなったら、周りの音もより鮮明に聞こえてくるんじゃないですか?「耳を傾ける」とはそのナントカ穴を音に向かって捧げ向けることです。自分の耳を傾けたって、足りない脳みそがポロンとほら、今抜けていったの気付きませんでした?もう脳みそ自体あってもなくてもいいものだったんだね。考えることが大事だ、なんてしたり顔で言った君、それは人を選びますよ。使える脳みそと使わなくなって変色しかけている脳みそというのがあって、後者はあきらかに必要のない場合です。下手の考え休むに似たり、堂々巡りしていることに気づきゃしない。
そう、自問自答という表層、上っ面ばかりを撫でまわして悦に入っている状態は、結局同じところにしかたどり着くことはないのだ。なけなしの価値観世界観で何を語ることができるのだろうか。自分の言葉で「自分」を腐したって、同語反復になるのがせいぜい関の山。他の人間を相手に一人批評や批判とのたまってグッチグチ腐している奴の方がよっぽど健全だよ。君自身のことなんて、そんなに面白くも何ともないんだよ。面白くたって、君はそれを言葉にすることもできないんでしょ?意味がないんだよ。50年早いよ。やりたいことをやれ、この言葉はそういった自家発電、自家撞着、自己中毒の非効率ループから抜けるためのスローガンなのかもしれない。勝手にやればいい。それ以上のことは知らない。君自身の物語なのだから。
そしてこんなことで一日の記事を費やすこともやめようと思い立ったのはもうずっと昔のことだ。こんなことぐちぐち言ったって誰も聞きゃしないんだよ!逆に聞かれてたらどうしよう。怖いね。